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今の文学があるのは、芸人のおかげだった。


【#98】20211006


人生は物語。
どうも横山黎です。


作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。


今回は「今の文学があるのは、芸人のおかげだった」というテーマで話していこうと思います。



☆キングオブコントを観た。

昨日、TVerで「キングオブコント」を観ました。
空気階段さんおめでとうございます!最高に面白かったです。僕は一回目の「火事」のネタの方が面白かったですね。壮大にバカバカしい世界観がツボでした。


個人的に一番笑ったのは、そいつどいつさんの「パック」ですね。声を出して笑っちゃいました。あとは、うるとらブギーズさんの「迷子センター」も好きでした。男性ブランコさんの「ボトルネーム」もドラマチックで僕好み。


観てて気づいたんですけど、僕が面白いと思ったものと、審査員が面白いと思ったものが結構違うんですよね。これ、誰にでもあると思うんですけど、自分が面白い!超笑えた!と思えるネタが、同業者やお笑い通の人からしたらあんまり評価されません。もちろん、今回の審査員のなかにも、僕と好みが似ているなあと思った人はいましたが、改めて、「面白さ」って人それぞれだなあと思いました。

そして同時に、芸人さんって凄いなあって思いました。キングオブコントに出場した芸人さんだけでも、少なからず、他人が見て「面白い」ネタをつくっているわけです。惜しくも敗れて、毎度毎度出場している芸人さんはその度に新作のネタを書き下ろさなきゃいけない。「あれ今年も決勝にいる!」ってなる芸人さんもいますよね。M-1でもそうですが、そういった方々って、毎年かなり質の高いネタを作り続けているわけです。改めて、芸人という職業に感服しました。


今回の本題に繋がる話をしておくと、芸人さんって「作家」なんですよね。


コント師は、設定やキャラクターを自分たちで考えて、どうすれば面白くなるか構成を練って、何度も練習をして、洗練されたネタ(=物語)をお客さんに届けるわけです。

漫才師や噺家は、基本おしゃべりだけでネタ(=物語)を伝えます。よくよく考えると、すっごいことですよね。何も物を持たなくても、口さえあれば、面白い物語を提供することができる。

そう考えると、芸人さんって、凄腕の「作家」であると気付きます。



☆今の文学があるのは「芸人」のおかげ!?


僕は今大学生なんですが、つい最近「近現代文学史」の授業を受けて、興味深いエピソードを知りました。


それは、「芸人が文学の在り方を変えた」という話。


言文一致体って聞いたことあると思います。
「話し言葉」で書かれた文章のことです。

言文一致運動が起こる前は、「書き言葉」で綴られていました。古文の授業で読んだ物語って、平安時代だろうが、鎌倉時代だろうが、室町時代だろうが、江戸時代だろうが、書かれた文章に大きな違いは見られなかったと思います。だから、学校で習う古典文法ひとつで、どの時代の文章も読めたんですよね。でも、「話し言葉」はだんだん変っていったので、「書き言葉」との乖離が激しくなったわけです。


そんななか、明治時代に入って、言文一致小説というものが生まれました。教科書ではよく坪内逍遥とか二葉亭四迷とか、そういった作家が言文一致文化を始めたと述べられていますが、本当はちょっと違うんです。


言文一致の誕生に大きく貢献したのは、実は「芸人」だったんです。


若林玵蔵という人物がいました。彼は、速記の祖と呼ばれていて、書くのがめちゃくちゃ速いんですね。彼は、生き生きとした物語を追求していました。

「生き生きとした物語とは何なのか?」

「どんな物語なら、読む人を唸らせることができるだろうか?」

探っていたわけです。


そこで若林が目をつけたのは、三遊亭円朝という芸人、今でいう落語家さんです。


先ほど僕もちらっと述べましたが、芸人の物語を構成する力、展開する力は目を見張るものがあります。落語家は、話し言葉で物語を伝え、客を笑わせ、感動させるのが仕事です。作家としての力がないはずがありません。


若林は円朝の噺を、速記で書き写すことにしました。持ち前の速記技術で、一字一句間違わずに書き写したそうです。それを思い付き、やり遂げたことにびっくりですが、さらに驚くことに、その書き写したものを本にして出版したところ、文学者たちがこぞって驚愕し、生き生きした物語とはこれだ!と納得し、「話し言葉」で物語を綴っていく文化が始まったのです。

二葉亭四迷の『浮雲』が言文一致体で書かれて、その走りとして有名ですが、二葉亭四迷がそのとき参考にしたのも、若林玵蔵が速記して出版された本だったんです。(ちなみにそのタイトルは『怪談牡丹灯籠』)



それまで「書き言葉」で書かれていたことが当たり前だった文化を、芸人と速記の達人が変えたのです。もちろん、現在つくられている本も「話し言葉」ですよね。

したがって、今の文学があるのは、芸人である三遊亭円朝と速記の達人若林玵蔵のおかげともいえるわけです。



☆物を語っていこう


この歴史を踏まえると、今日の芸人さんたちの凄みを、少しは深く理解できると思います。文学を生業とする人間にも大きな影響を与えた歴史があるくらいですから、芸人の作家力を侮ってはいけません。

実際、芸人×小説家として活躍していらっしゃる又吉直樹さんや、芸人×絵本作家として活躍していらっしゃる西野亮廣さんなど、物語の力で世間の人をあっと言わせる芸人さんは少なくありません。


こういったことを踏まえると、僕は、ただ単に文章を綴っているだけでは足りないような気がしてきました。


「次は音声の時代だ!」と小耳に挟み、大して目的もなく、stand.fmやYouTubeで音声だけのコンテンツを配信していますが、そこを軽視してはいけないと思いました。


「話す」ことも作家に求められている力だと思います。


もちろん、プロの芸人じゃないから、爆笑をかっさらう「fanny」な話はできないけれども、自分なりの視点で「interesting」な話ができるような作家になりたいなと思いました。


「物語」とは、「物」を「語る」こと。


今回のことを踏まえて、これからも文字や音声を通して、物語っていこうと思いました。



☆お知らせ


最後にお知らせします。

僕が書いた小説『メッセージ』についてです。

一言でいえばダイイングメッセージの話なんですが、
以前から僕は、
なんで死の間際に犯人の名前を書くんだろう?
もっと伝えるべきメッセージがあるよね?
という疑問を持っていました。
この作品はそんな疑問と真正面から向き合ったものです。
僕がどんな答えを出したのか、
興味を持たれた方は、下の記事からチャックしてみてください。



最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。




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