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物語を複数視点で書きたくなる。

――視点の切り替えによって謎が明らかになる。個人的にはこれが僕の理想的な謎解きの在り方なんですよね。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「物語を複数視点で書きたくなる。」というテーマで話していこうと思います。


📚自著への感想をくれた

この前、小説『Message』を読んで下さった方とお話しする機会がありました。住み開きシェアハウス「はちとご」のオーナーはやぶささんです。

『Message』は去年出版した、僕の初書籍。成人の日を舞台にしたヒューマンミステリー。亡くなった青年が遺した「110」というダイイングメッセージの謎を解き明かしていきます。

ダイイングメッセージって犯人の名前を書くのが当たり前になっているけど、人生最後なんだし、本当に伝えたいことを伝えた方が良くない?という疑問から生まれた物語です。

この前、はちとごにおじゃましたとき、はやぶささんが『Message』を買って下さって、後日、「読んだよ」と連絡をもらいました。

はやぶささん自身、サブカルチャー好きの人で、本を読むのも、文章を書くのも好きな方です。そういう方の感想を聴く機会はとてもありがたいわけです。

途中で「110」の謎が解けたよ、と言われたときはびっくりしちゃったんですが、他にも印象的な言葉がありました。

「複数視点が好きなんだね」


📚複数視点が好き

はやぶささんの言う通り、僕は複数視点で物語を綴るのが好きな人なんです。

小説『Message』も、青年、母親、父親、幼馴染と、複数の視点で語られていきます。その人物だからこそ語れること、その人物が語るからこそ意味がある物語を綴っていくのが好きというわけです。

魅力的な視点の切り替えができたら、これは僕にとって喜ばしいこと。そんな僕ですから、視点を切り替えるからこその演出を仕掛けがちです。


僕はミステリーが好きなんですが、こってり系のミステリーを書こうとは思わないんですよね。読むのは好きなんですが、書こうとは思わない。それは僕自身にそういう物語を書く才能が無いからでもありますが、そもそもそれを書こうという気にならないんです。

館ものとか、クローズドサークルとか、連続殺人事件とか、やっぱり現実離れしていると思ってしまいます。学校とか、公園とか、普通の街とか、舞台は日常的なところでいい。残虐非道な殺人鬼よりも、深い動機のある犯人の方が書きたくなるんです。

これはどっちが良い悪いの話ではなくて、好みの問題だと思います。僕はこってり系のミステリーを書くのが苦手だけど大して気にしていません。THEミステリーに対する抵抗があるからこそ、ダイイングメッセージにも疑問を持つことができて、本当に伝えたいことを伝えるダイイングメッセージが登場する物語を書けたわけですし。

だから、僕、探偵が独りよがりに推理を披露するという展開もあんまり好きじゃないんです。もちろん論理的に推論を組み立てていくとその分しゃべらなきゃいけないことがあるけれど、そんな瞬間、日常生活の中でないじゃないですか。

それでもミステリーを実現しなきゃいけないとなったときに有効なのが、「視点の転換」というわけです。


📚視点が変わり、謎が解かれる。

僕が常々思っているのが、この世に謎なんてないということ。僕は謎だと思っているけど、他の人は謎でもなんでもない、ただの事実、現象と捉えているだけなのです。

どうして犯人はAさんを殺害したのか。

それを解く刑事や探偵にとっては謎だけれども、犯人からすれば謎でもなんでもない。自分の胸に訊け、です。刑事や探偵が長々と推理を披露して犯人を追い詰めていく展開より、犯人が自ら語る、手記に遺す、そうして結果的に謎が解き明かされるという展開の方が、僕は好きというわけです。

視点の切り替えによって謎が明らかになる。個人的にはこれが僕の理想的な謎解きの在り方なんですよね。

もちろん、それがイコール物語の面白さにつながるわけではないので難しいところですが、やっぱり僕は複数視点で物語っていく方法が好きです。


今書いている新作長編もそう。4人の人物の視点で物語られる作品です。視点が変わるからこそ生まれる難しさはあるけれど、視点が変わるからこそ生まれる面白さを捨てることはできません。

その面白さを追求したのが、以下の作品です。1万字くらいのさらっと読める短編ですので、のぞいてみてください。今の季節に読みたい、青春ミステリーです。最後まで読んでく漁り、ありがとうございました。

20230415 横山黎



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