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パーキングに停めた夢の料金は580万円を超えている

――1日の最大料金が1000円だとして、それが連日続いているとしましょう。つまり、夢を停めてからずっと放置していると仮定します。単純計算で5800000÷1000=5800日、5800÷365=15.89…年。15年も夢を放置しているのです! 


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「小柳とかげさんの写真詩集がめっちゃいい!」というテーマで話していこうと思います。



◆写真詩集『蛇行する夕焼け』


先日開催されました文学フリマ東京で、小柳とかげさんのブースにお邪魔しました。以前からフォローさせていただいている方だったので、文学フリマに関して書かれた記事のコメント欄に「立ち寄らせていただきます!」と事前にお伝えしてありました。

会場着いて、真っ先に向かいました。ご挨拶のあと、並んでいた写真詩集を立ち読みして、「うわあ……めっちゃいいな……」とにやにやしていました(笑)試し読みを終えて、すぐに1冊購入を決意。

買ったのは、『蛇行する夕焼け』という詩集です。

今回は、その詩集に関する感想を物語っていこうと思います!


◆夢の料金は580万円


この詩集のなかで、個人的に最もインパクトがあったのは、こちらの詩。

パーキングに停めた
夢の料金は580万円
を超えている

たった3行ではありますが、果てしない物語がそこから想像することができる気がして、にらめっこしてしまいます。


夢を追いかけている人間が、車の駐車料金が580万円であることに気付いて、それをそのまま夢の料金としている。そんな解釈ができると思うんですが、もっと詳しい物語は、読む人それぞれの解釈にゆだねられることでしょう。


この夢追い人は車を使ってどんな夢を追いかけているのか。


ってかそもそも、滞納料金が580万円ってありえないですよね。どれだけ連日駐車すればその金額になるんだって感じ。ですから、「車」も「パーキング」も比喩という可能性も十分に考えられます。

「車」=「夢」
「パーキング」=「夢を停めてある場所」

と置き換えると、この詩は、捨てきれずに保留にしてある夢に想いを馳せている物語と解釈することができます。


で、580万円について丁寧にみていこうと思います。

1日の最大料金が1000円だとして、それが連日続いているとしましょう。つまり、夢を停めてからずっと放置していると仮定します。

単純計算で、

5800000÷1000=5800日
5800÷365=15.89…年

15年も夢を放置しているのです! もちろん金額設定によってこの値は変わってきますが、いずれにせよ、長い年月そのままにしてある夢があるってことです。


さて、みなさんはどのような教訓を得るでしょうか? 何を思い、何を考えたでしょうか?

比喩だとしても、夢と車を重ねている時点で、この夢追い人が夢を停めたのは、免許を持てる年頃、すなわち少なくとも18歳以上と考えられるわけで、そこから15年と考えると、既に30を超えていることになります。

それをふまえると、「いい大人が夢なんか追いかけているんじゃねえよ!」という声が聞こえてきそうです。

「580万円を超えている」で終わっているので、このあと何か行動を起こすかは分かりません。15年も放置しておいた夢を、今になって取りに戻そうという気が起こるでしょうか?


個人的には、この夢追い人は既に別で生計を立てていて、一応生活を営んでいるんだけど、それでもふと夢のことを思い出すことがあって、今もまだ胸の中でくすぶっている夢の存在に感傷的になっているのではないか、そんな物語を見出しました。

この解釈は、誰にも心当たりのある物語といえるでしょう。誰にだって、夢に折り合いをつけた過去があって、時々それを想起して、夢に酔いしれる経験はあるでしょうから。


◆夢に乗ってどこまでも


僕は今、作家を目指していて、紙の本を出版しようとしたり、次の文学フリマ東京に出品者として参加しようとしたり、心の針が指す方へ、ろくに考えもせず夢を走らせています。

その良し悪しはともかく、夢に乗っている時間は夢中になっているから楽しいんですよね、幸せなんですよね。時にもがいたり、苦しんだり、もうやめようかと悩むことはあるけれど、そういった時間さえ愛おしいんですよね。


夢を停めない限り、夢の中は心地が良いのです。


僕は夢を駐車させるつもりはないし、廃車の手続きをするつもりもありません。とりあえず情熱をガソリンにして、夢に乗ってどこまでも走っていこうと思います。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

【#336】20220601



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