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ガラクタを売ってはいけない。

――やっぱりちゃんと時間をかけて、胸張って面白いと思えるものを、大多数の人が認めてくれるような圧倒的なものをつくらなきゃいけない。届ける作業はその次にやることだなって思いました。

人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「ガラクタを売ってはいけない」というテーマで話していこうと思います。


📚僕はいうほどすごくない


今日はちょっと厳しい話をしようと思います。厳しいというのは、自分に対してです。基本的に僕は自分に甘い人ですし、小さな結果ですぐ調子にめでたい人ですが、現実にそびえる壁から目をそらしていてはいつまでたっても、自分の見たい景色を見ることはできません。

僕は自分を身丈以上の自分に見せることが得意なんです、良くも悪くも。それは多分、人柄のおかげかなと思っています。とりあえず嫌いにならないようにふるまってきた20年ですから、好かれずとも嫌われないくらいの関係を多く持つことができたんです。

月一でどこかへ遊びに行くような友達は少ないけど、一緒に呑みはするくらいの友達。人によってはそれを友達という一つのカテゴリーでくくるから母数が多いように見られがちですが、実際はそんなことないわけです。なんか、僕と呑みにいってくれた人に対してめっちゃ失礼な気がしますが、ご容赦ください。ちゃんと好きですし、また呑みにいきたいし、遊びにいきましょ。


僕の初書籍『Message』を約半年で130冊以上手売りしてきましたが、別に130人友達がいるわけじゃありません。同級生が本を出したことを面白がって買ってくれたり、教え子が頑張っているから買ってくれたり、信頼や応援、同情からくるものです。


たとえばバイトでも、僕は責任職の立ち回りをしているんですが、それも信頼と実直さを認められて声がかかったと思っていて、実際仕事してみたらちゃんと結果を出せない自分がいます。後輩や同輩からとやかく言われることはないしむしろ慕ってくれるけど、仕事ができる人として敬われるわけではないんですよね。みんなが見ないところでやらかしていたりするから、もしかしたら上手くいっているように思われているかもしれないけどそんなことは全くないわけです。


とにもかくにも、僕は自分をよく見せることが人よりも得意で、そのおかげで良い方向に人生が運ばれていった事実はあるけれど、そのせいで今の僕は独活の大木になってしまった事実も確かにあるのです。

実力以上の結果が出ているように見られているわけです。僕いうほどすごくないんです。


📚小説『Message』への批評


昨日、高校の文芸部の先輩と話す機会がありました。小説『Message』を読んでくれて、その感想や気付いたことを伝えてくれたのです。彼女自身も書く人で、今も公募に向けて原稿を仕上げているさなかのよう。書く人からの意見というのはとてもありがたいものです。書く人ならではの視点でものをいってくれるし、思ったことをずばりをいってくれます。

そんなこんなで小説『Message』の批評をしてくださいました。

ちなみに『Message』は、成人の日を舞台にしたヒューマンミステリーです。亡くなった青年が遺した「110」というダイイングメッセージの謎を解いていく物語。僕の成人式の経験や、20年の人生をベースにしたので、現実と創作がまじりあった作品となっています。

これ以降、小説『Message』の結末に触れる話が進みますので、ご容赦ください。


先輩からの意見をざっとまとめるとこんな感じ。

①縦書きでもよかったのではないか。最後の手紙の部分だけ横書きにすれば、横書きにしなきゃいけない課題も解決できるのではないか。

②キャラクターそれぞれの物語をもっと描くべき。全ての登場人物に役割と物語を与えるべき。

③犯人はいなくて結局事故死だったという展開は肩透かし。

④110の判明の仕方はもっとドラマチックでもよかった。

⑤ダイイングメッセージとして最後のメッセージを書き残す行動原理が不十分。

⑥物語が綺麗すぎる。

こんな感じですね。僕からすれば、「いや、それはこうだから……」という反論ができるものと、「いや、確かにな……」と何も言えなくなるものがあります。どちらかといえば後者の方が多いくらいです。

③に関しては、僕の友達のひとりや僕の父親からも言われたことです。やっぱりミステリーをうたう以上、殺人事件だと思われていたのに事故死だったというオチは拍子抜けを誘いますよね。結局、それでもこれでいくと決めたのは僕だから、そこに関しては反論できるんだけど、そういう感想を持たれる方は少なくないよねという事実を再認識しました。

⑥に関しても、別の人から言われたことがあります。以前にも記事にしましたが、大学の教授が読んでくれて、感想を伝えてくれたときに「綺麗な物語ですね」と言われました。

僕の人生において、いわゆる綺麗じゃない部分が少なくて、そんな人生をベースにしちゃったから綺麗な物語になってしまうんでしょうね。僕は綺麗な物語が好きだからあんまり気にしていなかったんですが、文学や小説とは訴えるものがあるからこそ成り立つもので、そこには苦悩や汚れた何かが求められるんだから、再考の余地があるなと思いました。

そんなこんなで小説『Message』という作品が、そして、僕の作家としての現在地が、より深く理解できたわけですが、昨夜はぼんやり物思いにふけってしまいました。

僕はこれからどうすればいいのだろうと。


📚ガラクタを売ってはいけない


大学生で本を出したと聞けば、すごいことのように思えますが、何かの賞を受賞したわけでもないし、出版社を通したわけでもない。Amazonのサービスを使って出版したものです。データさえあればノーコストで出版できるんです。つまり、内容の良し悪しは関係ないんですよね。

僕は小説『Message』を面白くない、悪い作品だとは思わないけれど、時間が経つにつれて今ならこの表現を変える、もっと良い作品ができる、そう思うことが増えてきたんです。つまり、小説『Message』は時を超えてもなお良いと思えるほど、強い作品ではないってことです。思い出としての価値はめちゃくちゃ強いけどね。

だから、最近は手売りを繰り返す度、「読んで!」と大声で案内することができなくなってきました。「いや、少なくとも次に書く作品の方が良いものになるのに」と心のどこかでは思いながら手売りしているんですよね。

やっぱりちゃんと時間をかけて、胸張って面白いと思えるものを、大多数の人が認めてくれるような圧倒的なものをつくらなきゃいけない。届ける作業はその次にやることだなって思いました。


昨日、僕は過去の作品を集めた短編集『我楽多だらけの宝箱』をつくって売ろうと話していましたが、ちょっと取りやめる方向でいこうかなと考えています。文字通り「ガラクタ」ばかりですから。小説『Message』と同じで思い出としての強みはあるけれど、僕はまだ過去を振り返るほど、素晴らしい今に立っていないと思ったので、とりあえずちゃんと良い作品を作ることを目標に掲げていきます。

いろいろスケジュールを立てていたけれど、今一度組み直して、自分の進む道を選択していきます。今日は僕のために書いた記事で、退屈な内容になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

20230119 横山黎



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