親愛なる上司の誕生日
――そもそもどうして大学生作家として活動していた僕が宿泊業、それもゲストハウスの管理というあんまり一般的ではない仕事を選んだのか、その理由に触れながら、仕事を始めて3ヶ月が経った今、僕が宮田さんに抱いている思いを綴っていこうと思います。
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「親愛なる上司の誕生日」というテーマで話していこうと思います。
🏨ゲストハウス全国展開の夢
僕は今、木の家ゲストハウスのマネージャーとして仕事をしています。清掃やチェックイン対応、広報に会計に新規施設立ち上げまで、多岐に渡る仕事と向き合っています。
木の家ゲストハウスは昨年2月に茨城県水戸市上水戸にオープンしたゲストハウス。オーナーは宮田悠司さん。会社員をやめて100万円で世界一周をしているさなか、ゲストハウス事業を始めたいと思い至り、帰国後すぐに準備に取り掛かりました。祖父母の家だった場所をリニューアルして、ゲストハウスとしてオープンしたんです。
水戸は観光地というわけではないけれど、スポーツの大会で前泊する人や、出張で気軽に泊まりたい人、サークルの合宿をしたい大学生……といった具合に少なからず需要があることが分かり、ゲストハウスの拡大化をはかりました。
もうすぐ1年半を迎える頃ですが、今や水戸市内に7棟の宿泊施設を運営するに至っています。今後は水戸だけでなく他都市への展開を中心に動いていく方針でいて、いちばん早くて前橋と宇都宮にゲストハウスが生まれそうです。
そんな宮田さんの夢は、ゲストハウスを全国展開していくこと。そして、同じ夢を、僕も一緒になって追いかけているのです。
僕は4月から木の家ゲストハウスのマネージャーとして関わり出しました。さすがに人手が欲しくなってきた宮田さんと、進路を決めかねていた僕がマッチングしたというわけです。
そもそもどうして大学生作家として活動していた僕が宿泊業、それもゲストハウスの管理というあんまり一般的ではない仕事を選んだのか、その理由に触れながら、仕事を始めて3ヶ月が経った今、僕が宮田さんに抱いている思いを綴っていこうと思います。
何せ、今日は宮田さんの誕生日ですから。
手紙代わりにnoteを贈ります。
🏨ゲストハウスを選んだわけ
僕は大学3年生のときに初書籍『Message』を出版しました。Amazonのサービスをつかって出版したんですが、まだ無名の大学生の書いた本が見つかるはずもないので、僕は直ちに自ら動くことを決しました。
それからというもの、怒涛の手売り。身近にいた大学生の友達から、小中高の旧友たち、お世話になった先生、イベントで知り合った人、飲み屋さんのマスター……気が付けば既に250冊以上手売りすることができました。
あの手この手で自分の作品を届けていくうちに、人の縁も広がっていって、水戸をはじめ茨城で面白い生き方をしている人たちとつながることができたんです。
そのうちのひとりが、板谷隼さんという方でした。彼は「はちとご」というシェアハウスの管理をしている人です。はちとごはシェアハウスでありながら、家屋の一部を地域に開放する「住み開き」という活動をしている場所で、住人に限らず日々いろんな人がそこにいるんです。
大学3年生の終わり頃に初めて伺ってから、大学4年生の1年のなかでめちゃくちゃ足繁く通っていました。大学の授業に行く前にふらっと立ち寄ったり、バイト終わりに帰ったり、みんなで一緒に日帰りサウナに行ったり……。大学卒業の日、僕はいくつか場所を巡ったんですが、最後に訪れたのははちとごでした。それくらいに愛着の生まれた、自分の居場所と思えた場所であり、場でした。
はちとごで過ごすなかで、また、はちとごが関わるイベントに参加するなかで、僕が抱いたのは、「自分でも場所づくりや場づくりをしてみたい」という希望でした。自分の箱を持って、そこに人が集まって、同じ時間と空間を共有するという構図に、僕は深い憧れを持ったんです。
そのさなか、宮田さんから声がかかったんです。
「木の家に、来ない?」
僕は教育学部の学生でしたが、当時は学校教育よりも社会教育の方に関心があるから教員になる選択肢を捨て、教壇に立つにしても非常勤講師としてかなと悩んでいたんでした。なんとなく教員になるのかなとぼんやり思っていたから、就活活動は全くしていませんでした。大学生作家と名乗っていろいろ活動はしていたけれど、正直、未来への不安は拭い切れずにいたんです。
以前から宮田さんとは割と頻繁に語り合う時間があったので、お世話になっていたんですが、その果てに仕事の依頼をされるとは思いもよりませんでした。即時返事をすることはできなかったけれど、時間をかけて考えるうちに、「面白いかもしれない」と思うようになりました。
その頃から、ゲストハウスをどんどん展開していたから、今後はもっと面白くなるんだろうし、いずれ自分の場、場所を持ちたいのなら、それに向けた勉強にも成り得ると思ったんです。
自分が身に付けたものも上手く活かせるのではないか、木の家ゲストハウスを僕なりのアプローチで盛り上げることもできるんではないか。そこに、物語を与えることができるのではないかと信じることができたんです。
だから、僕は木の家ゲストハウスのマネージャーになりました。
🏨親愛なる宮田さんへ
4月からの3ヶ月、僕の仕事ぶりがどうなのか、自分なりに評価できるけれど、世間一般の新社会人1年目と比べてどうなのかは分かりません。大きな結果を出しているとはいえないし、大きな貢献ができているともあんまり思っていません。それは、きっと僕が僕を認めていないから。自分で納得できるような何かを成し遂げていないからなんだと思います。
ただ、僕がいるから宮田さんが羽を伸ばせるということは確かで、その点に関しては分かりやすく自分が関わっている意義を見出せます。
また、前橋、宇都宮を始め、他都市への展開が現実的になってきた今、あのときの僕の選択は間違っていなかったと、木の家ゲストハウスはこれから必ず面白くなると信じてよかったなと認めることができています。
お金を稼ぎたいなら同じ時間バイトをした方が断然良いし、安定を求めるなら教員になった方が賢い判断でした。しかし、僕が欲しいのはそのどれでもなく、夢、です。
時間をかけることで誰も見たことのない色の花が咲くのなら、僕は宮田さんと一緒に水やりを続けます。より栄養のある土を探し、より効率のいい育て方を探り続けます。木の家ゲストハウスが立派な大樹になるのを夢見て、これからも動いていきます。
今までありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
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20240704 横山黎
※宮田さんと初めて会った日のnote↓↓↓
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