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会話はキャッチボールというより積み木。
――もちろんたまには崩す享楽に浸るのも一興だけれど、学びや気付きが生まれるのは積み上げていった会話のなか。生きるヒントや大切な瞬間に巡り会えるのは、積み木のような会話のなかであると思うのです。
人生は物語。
どうも横山黎です。
今回は「会話はキャッチボールというより積み木」というテーマで話していこうと思います。
📚僕が好きな会話
先日、noteで知り合った穂崎りらちゃんとオフラインで会ったんです。池袋のブックカフェ「梟書茶房」に行ってきました。置かれている本のすべてに特製のカバーがかかっており、タイトルも著者も装丁も分からないようになっています。カバー表紙に記されてある推薦文が好奇心をくすぐっているので、読みたい気持ちが募るのです。
僕たちは内設するカフェで3時間くらいしゃべっていたんですが、時間を忘れるくらい夢中になれて、今振り返ってみると、僕はああいう会話が好きなんだなと再認識することができたんですね。
僕が愛とは何かの話を始めたら、りらちゃんが自分の恋愛話につなげて僕の知見を補強してくれたり、逆にりらちゃんが大学近くのカフェでのステキな出逢いの話をしてくれたとき、僕は自分がお世話になっているバーやシェアハウスでの経験を引き合いに場所や出逢いに時間を割く意義を唱えたり……とにかくこんな風にして、積み重ねるように会話を続けていったんです。
以前にもnoteの記事にしたことがありましたが、僕はこの手の会話がめちゃくちゃ好き。普遍的なテーマや定理をお互いの持ち合わせている体験や知識で確かめ合うことが好きなんですよね。
会話をする度に自分のいる場所が高くなっている気がして、積み木を積んでいくようだなと思いました。
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📚会話はキャッチボールというけれど
会話はキャッチボールであるという言葉があります。キャッチボールなんだから暴れた球も乱れた球もいりません。適切な速度で、適切な方向へ、そして、相手の心の真ん中へ、言葉を投げる。それが会話であるという考え方です。
まったくもってその通りだと思うし、良い会話とはそうあるべきだと思っているんですが、僕が本当に好きな会話ってキャッチボールではないなと思ったんです。
優しく投げること、優しく受け取ること。もちろん大事だけど、僕が好きなのは、「え、そんな投げ方でそんな球が来る⁉ だけどめっちゃキャッチしやすい!」と思える会話です。
要は、相手の会話に自分なりの知見を混ぜながら返し合う会話のこと。
自分の手札と、相手が手札は違う。だけど、会話の場に出された相手のカードと、自分の手札の親和性が高く、相手のカードの上に重ねてもマイナスにならない、むしろ化学反応が起きてプラスになる現象があります。
さっき提示した例で表現すると、積み木のような会話が好きなんです。
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📚積み木のような会話を
もちろんご飯を食べて、酒を呑んで、最近会った不平不満をこぼしたり、下世話な話に盛り上がるのも嫌いじゃないけれど、会話をすることで、お互いの知識と知見を積み重ねていって、ふたりも見たことのない景色に辿り着く方が、やっぱり好き。イメージの問題だけど、前者は崩しながら掘り下げていく感じ。後者は積み重ねていき、高みを目指す感じ。
崩し方にはさほど違いがなくて、崩した先に待つのは似たような未来。ただ、積み方には人それぞれこだわりがあるし、誰と積むかでどんな方向へ会話が建設されるのかが変わってくるので、会話をする甲斐があるなあと考えるのです。
もちろんたまには崩す享楽に浸るのも一興だけれど、学びや気付きが生まれるのは積み上げていった会話のなか。生きるヒントや大切な瞬間に巡り会えるのは、積み木のような会話のなかであると思うのです。
だからこそ、相手が置いてくれた積み木の上に上手く乗せられる積み木を持ち合わせておくために、これからもたくさん調べて、たくさん動いていこうと思いました。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
20230811 横山黎
▽こういう会話が好き。