「仕立て屋のサーカス」に行ってきた。
ーーどこを切り取り、何を思うのか。それは全てお客さんに委ねられていて、お客さんの数だけ味わい方のある芸術作品だなと振り返っています。
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「仕立て屋のサーカスに行ってきた。」というテーマで話していこうと思います。
🏨「仕立て屋のサーカス」鑑賞
昨日、東京有楽町にある国際フォーラムで開催された「仕立て屋のサーカス」の公演に行ってきました。
公式ホームページを見てみると、こんなことが書かれています。
この説明だけでイメージできた人は多くないと思います。実際、僕も特別予習をせずにいって、どんな舞台が待っているんだろうと胸をときめかせながら開幕を待ち侘びたものです。
仕立て屋のサーカスは芸術を具現化したような舞台を創り上げるアーティスト集団です。僕が実際に観賞して思ったことは、ありとあらゆる表現を一緒くたにしたエンターテイメントということ。音楽も、演劇も、詩も、光の演出も、体験も、全部ひとつのステージで表現されていました。
🏨お客さんの数だけ「体験」がある
途中15分の休憩ありで2時間半くらいの公演だったんですが、どこを切り取るかによって、鑑賞の仕方も、表現の受け取り方も違ってくるんですよね。
あるときは服飾家が会場の天井から垂れ下がっている布をつかって結び目をつくり、あるときは音楽家が圧倒的な音圧の音楽を奏で、あるときは照明の方によるライトパフォーマンスが展開し、あるときはキャストがお客さんに飴を配っていました。
どこを切り取り、何を思うのか。それは全てお客さんに委ねられていて、お客さんの数だけ味わい方のある芸術作品だなと振り返っています。
予習はほぼしていかなったんですが、お客さん次第で体験価値が変わるショーであることは把握していました。
というのも、この「仕立て屋のサーカス」を知ったきっかけをくれたのが、大学時代からお世話になっている隼さんという方で、彼とラーメンを食べているとき、僕が「体験するエンタメにはまっているんですよね」とこぼしたら、「こんなんあるよ?」と紹介してくれたんです。
以前から「仕立て屋のサーカス」のことは知っていたんですが、実際に行くことはしていませんでした。ちょうど東京に行く用事もあったので、「体験」に感度の高い今こそ鑑賞するべきだと思い至ったというわけです。
ちなみにそのときの記事↓↓↓
で、さっきも触れたように、案の定、お客さんの数だけ「体験」が生まれる仕掛けになっていたんですよね。
そもそも舞台が中心にあって、それを囲むように客先が配置されているんです。椅子の席の他に、ステージに近い部分にはシーツが敷かれていて、座布団に座りながら鑑賞することもできるんです。もちろん立ち見もできます。
僕の席だから見えるものがあるし、そことは真反対の席だからこそ味わえる体験がある。お客さんの座席によって、目線の高さによって、舞台との向き合い方が変わるんです。それはつまり、お客さんの数だけ体験が生まれるように仕組まれているということです。
🏨芸術とエンタメ
さて、「仕立て屋のサーカス」を鑑賞し、自分に落とし込めることはあるのか、逆に自分の関心との相違はどこか、整理していこうと思います。
まず、さっきも触れたように、お客さんの数だけ体験が生まれる仕掛けはめちゃくちゃいいなと思いました。同じ演目だとしても、席の違いによって、目線の違いによって味わい方が変わるからリピートしようとも思える。そんなコンテンツが今は求められているし、僕もいつかつくってみたいなと思えるんですよね。
一方で、僕が再認識したのは、「やっぱり僕は芸術をつくりたいんじゃない」ってことでした。
「仕立て屋のサーカス」は舞台芸術です。もちろんエンタメ要素はあるんだけれども、どこまでいっても芸術なんですよね。エンタメ性のある芸術なんです。
まだ何者でもない僕が偉そうなことはいえませんが、僕の関心があるのは、エンタメなんですよね。誰しもに心当たりのある、マスに向けたコンテンツ。
仕立て屋のサーカスとあえて対比していうならば、芸術性のあるエンタメなんです。
そこにストーリーがあって、分かりやすく心を動かす仕掛けがあって、かつ参加の仕方によって楽しみ方が変わってくるような、そんなコンテンツ。やっぱり僕は「芸術」よりも「物語」や「エンタメ」に用があるんだなと再認識できました。
これからもいろんなコンテンツを練り歩いて、自分のイメージを膨らませていこうと思います。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
20241028 横山黎