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映画日記〜ミスミソウ〜

私の数少ない苦手なもの一覧。恐怖、スリラー。映画感想noteを散々書かせて頂き、時には色々な世界を覗き見た方、人生は豊かになるなどと悟ったよう書きながら観に行く映画を選ぶ際には新作品揃えから爽やかに除外。

ホラー好きの友人と仲が良かった頃、隣同士で並び薄眼を開けて見ることが可能。1人になった途端、帰り道の暗闇は全部得体の知れない不安を生み出す魔空間。2時間SPでお茶の間向けの温い恐怖が流れる間、指先をしわしわにさせ無理して長風呂。画面を見なければいいということではない。恐怖が流されている事実が怖い。人の死が心底怖い。

心霊モノ、サイコスリラー。根本には人の生死。生々しければ生々しい程いいと言わんばかりに鮮烈な死。壮絶な死を遂げた者が悪霊と化し精神異常者が悦楽のまま人々を虐殺する映画。今私が生きることの円やかな平穏。親の体温を受け継いだ身体1枚剥がしたらあのやわで赤黒い内臓が詰まっていると見せつけてくる。とても苦手。誰だって簡単に死ぬ。嘲笑われる。悔しい。

私は押切蓮介の漫画が大好き。彼はお化けをぶん殴る漫画を描きデビュー。ホラーギャグ漫画という種類を確かなものにした変わり者。私も彼の初めての長期連載「でろでろ」を読んでケラケラ笑い虜になる。

今回紹介するのは押切作品の中でも随一の後味の悪さを誇るメンチサイドホラー「ミスミソウ」ホラーギャグ漫画家だと思い油断し読む。思わぬ文脈で出会う。本格的で何処までも悲しく、沢山の人が無残に死に絶える漫画。

私の1番見たくないものの1つ。1部ではトラウマ漫画と称される作品。2018年・春、内藤瑛亮監督により完全実写化を遂げる。

ホラー映画の定義は観客に恐怖感を与えるもの。スリラー映画の定義は観客にスリルを感じさせるものであるならば本作は確実にホラー映画でありスリラー映画。恐怖、スリルは決しての映写幕中に留まらない。

恐怖、スリラー映画も苦手な私。何故本作の話を始めているのかというと本作が映写幕の向こうから鋭い瞳、ボウガンで私を貫いて見せたから。映画館のフカフカ椅子に座りポップコーンを齧りのうのうと悲劇を眺める私をちゃんと傷つけた。

他の世界だから怖くないと願う人々。雪深い山奥に位置する街に越して来た主人公の少女は今年で廃校になる中学の最後の卒業生。同級生中で部外者され虐めに合う。学級の主犯格の妙子の指示の元、少ない級友は歪んだ結束力を持ち日に日に暴力激化。

学級で唯一味方をしてくれるのは同じく東京から転校して来た過去を持つ晄のみ。大切な妹、親と共に支え合い暮らす。激化暴力に耐え兼ねた主人公は親の勧めもあり登校拒否。虐めの標的が主人公に移っていたお陰で難を逃れていた元標的がまた虐められる。

加害者側、被害者側、傍観側、嗾ける側。十人十色の役割を担う中、歯車が狂い級友の手により主人公の家族は焼き殺される。私達は普段恐怖、サイコスリラー中で描かれる恐怖を自分の身近には感じない。自己防衛。実際に起きた悲劇的な事件でさえ何処か他世界の話だと無意識に区別。

誰かが無残に殺されたとして被害者側にも決定的な過ち、運の悪さがあるに違いない。加害者側が精神異常者。いい。何処かで願う。加害者にも大きな心の傷があり復讐心故の理由ある殺人。いい。過激なゲーム、漫画に影響を受けた結果の事件。いい。定義づける人。

兎に角、条理に適ったものと願い自分の身近には異常な出来事は起こらないと信じ込む。恐怖、スリル、悲劇。自身に決して降りかからないと分かった瞬間、娯楽とし機能。

本作は精神崩壊、メンチサイドホラー。話題を呼び映画もグロさに特化。予告がネット上で賛否を呼ぶ。退屈な平穏をぶち壊すような印象の強いものが見たい人、復讐ものと聞いて悲劇から転じる浄化を求め観に来る人も沢山いる。

満を辞して完成した本作はチクリと刺す刺激を求める人のずっと先の方を歩く。悲劇を美しさで消化。失われるもの。サイコスリラー的娯楽に甘んじることなく本当の痛み、理不尽を描き尽くし終わる。本作を希望に変える為の話。

主人公の家族を焼き殺す同級生は決して物語中だけに存在する種のイカれた子という訳ではない。漫画、映画同様に話が進むにつれ加害者側のじっとりとした人間味が滲み出る。

大きな悲劇が1つの明快な原因のみにより実行はない。誰もを圧倒する音、熱さ、嫌な匂いを撒き散らした大火事。級友それぞれが人として思春期の子として色々感じながら生きたからこそ起きる。

痛覚を失ったサイコパス、計画性に優れた愉快犯も存在しない。何かに怯え人を傷つけ、結果に対し怯える何処にでもいる子しかいない。

此処に描かれる歪みと同質のものが私の周り、自身の中にも確かにある。私達が苛まれる小さな歪みの1つ1つが今と違う跳ね返り方をしていたら全然、別世界の話とは思えない。

「火垂るの墓/高畑勲」描きたかったのは逆境中でも懸命に生き抜く少年少女は美しいということではない。罪のない者が戦争によりズタボロにされ息絶える姿。

原作漫画の初読時と同じ。憧れるべきもの、賞賛すべきものは何1つ描かれいない。口中にジャリジャリと怒りにも似た砂粒が残る。

怒りの矛先は映画中の不条理。映画中で死に絶えた罪なきもの者への鎮魂の念に変わる。私達は時に悲劇を美のー種として消化。

本作も全てを奪われ絶望した主人公の鮮やかな復讐様を美しいと感じる人も多い。自身、理性を超え魂の底から美しいと感じる。

主人公の精神的支えの晄。主人公を三角草に例え慈しむ。三角草は雪を割り紫色の花を咲かせる。懸命さが主人公と晄は言う。私達は誰かの血が流されたことにより壊れた心があることを悲劇の美の構成要素として納得はしては決していけない。

美しい者がボロボロに壊れること対し哀れみ、歪んだ親近感を向ける人は少なくない。弱者が逆境を懸命に生き息絶える物語。小さい頃に名作で見た人も多い。懸命さは美しい。運命に翻弄される様は美しい。そう。美しいと唱え続け美しさを悲劇の免罪符にする。美しさを感じ悲劇の要因に対する怒りを忘れる。

私は作者の漫画が大好き。如何しようもない怒りを決して誤魔化さず漫画に噴出し続ける様に本当に救われているから。彼の漫画には悲しみに溶けきらない忽然とした怒りがある。

本作でも観客の誰もが晄に同調。逆境中を生きるか弱く美しい女としての主人公を観客として消費する中、主人公は決して目線の望み通りの姿はいない。

鋭さは可哀想な女を視姦する観客達までさくりと軽やかな音で貫く。本当の痛みを負った者の絶望を教える。自分を傷つけた者に誰1人として優しくするつもりはない。切っ先は今まで悲劇の中で犯され嘲笑われてきた全ての魂の復讐を必然と背負う。そう。早い。

不条理な世界を生きる為の痛み。私が恐怖、サイコスリラー映画を見ないのは好んで見る観客に上手く馴染むことが不可能。

映画中でさえ人の死が怖い私。例え架空の存在だからといって死を軽々しく扱う行為自体恐ろしい。映写幕でしっかり隔たりを保ち死の生々しい絶望感を自分の日常には持ち込まない。如何しても上手に不可能。誰かの死、絶望。退屈な日常に刺激を与える娯楽の一種になることが怖い。

本作は観客に対しても復讐をなし得る物語。原作初読時、実家の炬燵でぬくぬくとポテチを食べながら平穏を貪る自身を漫画の向こうから罰せられ怖い。

誰にも甘くない、誰に対しても毒になる物語。此処にある。私はこの毒により何時か生き延びる瞬間が来ると悟る。世界の本当の悲しみが誰かに消費される為の優しい悲しみではない。誰もが嫌な顔をする。ちゃんとした悲しみが描かれていてよかったと思う時が来る。

何時も扉の1枚向こうには不条理な世界が待つ。真っ当だというのみ、美しいのみ。ずたずたに壊された子の話。私は美しい何かが無意味で無価値な苛立ちの連鎖により殺される様を見た。

主人公が流した血、彼らが流した血。別の赤色に見える。見て張り裂けた胸。泣くことが可能。私が謝ることではない。世界で本当を描く時、何時も気持ちいいものになる訳でない。あなたが何も考えずに気持ちよくなる作品を作る為には色々な本当を隠す。

私は自分を気持ちよくしてくれるものを求める。そう。優先的にお金を支払う。誰もがお金の集まる作品を作る。巡り巡って映画館、TV、漫画、小説、雑誌。私を生温く丁度いい温度で傷つけずに守ってくれるばかりの作品が溢れ返る。

あなたを慰め、時には泣かせ、浄化させてくれる。スリルで退屈を吹き飛ばし、幸福な終わりで笑わせる優しい娯楽の数々に守られた心。本作はあまりに辛く苦しく受け入れ辛いもの。

人間性を失った主人公によるサイコで残虐な復讐劇の一言で片付けられるのならどれだけ心が楽。本当に悲しい話を見てあなたの胸が痛む。

誰かの死の瞬間に見なければよかったと後悔。自体世界の希望。本作に描かれる歪みの数々。同じ質の歪みを背負ったまま今日も何とか破裂しないよう恐る恐る廻る世界の希望。

痛みを背負った後のあなたでこれから生きて。思い出して悲しくなることに何の保証も不可能。痛みを背負ったことを大切にして生きて。

美しい悲劇とし消費された全ての物語の地中で踏みつけられた全ての者へ。花を手向けるよう。痛んだ胸を張り如何かずっと生きて。

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