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映画日記〜シン・ゴジラ〜

先日「シン・ゴジラ」を見る。映画館で。昔の映画の方が大好き。最近は映画館に行くことは少ない。昼過ぎ、2度寝から目覚めた時、見に行かなきゃと行く。

特撮映画が栄える時代。経験した訳でもなく女子として見る機会も無いまま育つ。嗚呼、特撮映画はずっとこうだと思う映画。

人は何故空想、虚構を物語にして描く?問いには無数の答え。1つの正解は現実を描くため。十人十色の悲観、楽観、その他無数の主観。蜃気楼のよう移ろう。時には情報、流行。様々に目隠しされる現実。誰もが心の奥底で本当の現実を見たい。

ゴジラは水爆実験の廃棄から生まれた怪獣だ、ということは皆さんご存知だったと思いますが、
2016年の今、「水爆」という言葉があらためて、また新しく重みを背負った形で、響きます。

ゴジラが米国空爆を受けている間、何故だか辛く、哀しく、仕方なかった。口が3つに開き、劈く音を立て、口、背中の両方から青白い放射能光線を出す。何故か堪らなくなり涙が溢れた。見慣れた東京。凄まじい早さで崩壊。哀しい、怖い。そう。光線を出すゴジラの姿。純粋な破壊があまりにも綺麗。頭を殴られる。幸せな夢。目覚め、涙が出る。

神様。全く駄目、歯が立たない。神様、運命、災害。小さい所では社会。自分と全く規格が違う力。できることは何にもない。芯のから感じる。項垂れる暇すらない圧倒的強さ。嗚呼、胸が張り裂ける。瞬間を私は何時も怖れ、求め、生きる。

何かと対峙。ゴジラは驚異的。ゴジラを本当に敬う。勝ち目はない矢口組の戦い方。ゴジラ、国民に真摯な眼差し。緻密な作戦を練り、万が一を考え尽くす。決して折れず、怠惰、疲労に足を取られず、惜しみなく、どんな手段でも使う。

どちらが正義か否か。簡単に決められることは大したことじゃない。本当に意味のある戦闘。戦闘中、両方美しい。

私は普通の非力人。とても神様には敵わない。私には私の真剣な戦い方。例えば、ゴジラが光線を吐く場面。畏怖を覚え、ギクッとした人。誰もが常に戦闘中を生きる。見える戦闘、見える危機。例えば、自分の今の居場所はこれからも守る。心は何かに潰されないか。誰もが何かと戦闘中。激しいものだけではなく、例えば、退屈も恐ろしい敵。生きる。

虚構は現実にとって善、悪でもない。現実も虚構にとって善、悪でもない。怪獣を模した神様。美しく慟哭する様。善、悪でもない。私は座りながらも突っ立っている感覚。ずっと見る。瞬間の在り方。今ある色々な問題の答えがある。法には書けず、分かりやすい文にもできない答え。

人々の本気をひしひしと感じる。作品に出会う。私は何をやってる?本当に命を削って生きる?できることをサボっていない。誰かにとってでなく、自分に対し、恥ずかしい生き方はしていない。溢れる問い、理想とかけ離れた自分。落ち込む。問いがある限り歩く。人は一生懸命生き、綺麗。誰もが自分が好き。何より私は私が大好き。

特撮の歴史、日本サブカル全体の歴史、世界情勢にも詳しくはない。色々な方、色々な視点の感想を探す。ゴジラVSエヴァのグッズを少しずつ買い集める。ゴジラvsデストロイア。

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