天才になりたかった大人
この世には天才がいる。天才は圧倒的だ。
でも天才じゃなくても、子供の頃は自分はなんでもできると思っていた。秀才タイプなんだ、努力の人なんだ。天才にも負けないぞ、と。
大人になった今は、どうだろうか。
自分はアイドルなわけでも、スポーツ選手なわけでもないが、各方面の天才たちをみて、感動しては自己嫌悪に陥る。
圧倒的。この言葉が苦しい。
何故こうも魅力的で儚くて心が惹かれるのか…。
その背中を追いかけるべく、ガムシャラになっていた。でも、23歳になったある日、言われた。"もう"23か
22歳までは、まだ若い。だったのに。
そこで、気付いてしまった。
今の自分は天才でも、ましてや秀才でもないのだ。
そしてもう若さという世間からみたくそくらえな強い強い武器も失いつつある。
若い時は、若いからという理由で理解していることもわからないよねと言われた。なんなんだ。
やりたかった職にもつき、食べていってはいるけれど、どうしても天才になりたかった自分が胸を裂く。
圧倒的でなければいけない。
でも世界のルールを破ってはいけない。
天才は、無邪気にルールを破る。その様を見てきた。常識人である自分は、それを羨ましくも憎たらしく思っていた。
天才と凡人の違いなど、本を読めばいくらでも出てくる。わかっている。いやというほど読んだ。
自分の殻を破れない自分。
破りたくない自分。
破れないことに辟易とする。
世間の声はいつだって無責任だ。
世間の声にすがる自分はもっと無責任。
大人になってしまった自分は、まだ抵抗できるだろうか。
いや多分、天才に焦がれる気持ちがある限り、抵抗し続けてもがいて泥臭くても進むのが自分な気がする。
やってやろう。