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心に残ることば_1(他者への寛容)

私は、自分がある生き方に縛られているからといって、みんながやるように、世間の人びとを無理やりそこに引きずり込むようなまねはしない。
生き方というものは千差万別であり、それでいいと思っている。
私は世の人たちとは反対に、われわれのなかにある類似よりも差異をいっそう容易にうけいれる。私は他人から私の生き方や方針をできるかぎり免除してやって、彼を、単に彼自身のなかで、ほかとの関係を抜きにして考察する。
そして彼本来の生活の型にあわせてたっぷり肉付けをしてあげる。

私は想像力を働かせて、彼らの立場にものの見事に入り込む。
そして私は、彼らが私と異なるだけに、それだけいっそうこころから彼らを愛し、尊ぶ。

保苅瑞穂『モンテーニュの書斎』講談社、p.137-138


これほどまでに、他者に開かれた「寛容」を見事に表現した文章には、なかなかお目にかかれるものではない。
モンテーニュはいつも淡々とすごいことを言う。

この文章を、彼は、血なまぐさい宗教戦争が渦巻く過酷な時代にあって、不寛容がかつてないほど猖獗を極めた世界に身を置きながら、毅然として書き留めたのだ。

もとより、きれいごとを言う人ではない。
酸いも甘いも噛み分けた人、現実に即してものごとを考えた人だ。

そんな彼がこの文章を書くためには、どれほど豊かな想像力と、しなやかで強靭な精神と、経験を通じて磨き上げられた叡智と、苦難に屈しない気高さが必要だったろう。
篤信の宗教家たちが隣人を容赦なく蹂躙するなかにあって、彼はそのだれよりも、他者へ開かれたその姿勢において、キリストの教えそのものに寄り添っていた。

他人ごとではない。
不寛容の時代は彼の生きた世界だけではないのだ。
いま生きるこの世界で、身の回りの世間で、会社で、学校で、あるいは家庭で、このことばを噛みしめたい局面を挙げるとしたら、それこそ枚挙にいとまがないではないか。

私の偏見や思い込み、欲望を取り去って、他者を他者として立ち上がらせ、肉付けし、そのありのままを尊ぶこと。

このことばは、私の生活現実を容赦なく貫く。
それほどに、強く訴えるだけの強さと輝きを持っていることばだと思う。
彼のことばは、狂乱の時代にあってなお、人間性そのものへの弛まぬ信頼の念で貫かれている。

【参考】
「心に残ることば」を取り上げるにあたって綴った序文です。


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