露伴とビリヤード
先ほどふと思い出したエピソード。
どこに書いてあったのか忘れたが、幸田露伴がビリヤード場で玉突きに興じた場面を描いた文章を思い出した。
その文章を読んだとき、私は露伴の仙人のような風貌とビリヤードという取り合わせが、どうもちぐはぐな感じがして滑稽な印象を受けたのを覚えている。
露伴先生には大変失礼な話だが…。
私は学生時代にビリヤード場でバイトをしていたので、お客さんの相手をして玉を突くことも多かった。
そんな事情もあって、ビリヤード場で玉を突く露伴の姿が、より鮮明にイメージできたことも印象に残っている理由かもしれない。
そういえば、お客さんのなかにも、露伴のように髭を生やした人がいた。
やけに豪快にキューを扱う人で、強く突くためか、玉がたくさん動いて全く意図していないポケットに玉が入ったりする。
こういう時は、エチケットとして「失礼しました」と相手に言うものだが、そんなことはお構いなしで、どこだろうと入ればいいんだと言わんばかりの豪胆な人だった。
いつもツナギの作業着といういで立ちだった。
記憶というのは不思議なもので、そんな露伴とは似ても似つかない人が、私のなかでは露伴像と結びついてしまっている(ツナギの作業着だぞ…)。
とはいえ、それから私の中で、少しだけ露伴という人を身近に感じるようになったのは幸いかもしれない。
いまでは露伴全集が自宅の書棚に鎮座しているのであって、私のなかで露伴という人はやはり重要な位置を占めるのである。
五重塔、対髑髏、幻談、野道…、好きな作品はたくさんある。
そして、これから読んでみたいのは、評釈芭蕉七部集や評釈猿簑だ。
俳諧の評釈に凄みをみせたと言われる露伴の一面を垣間見たい。
ビリヤードをする露伴も、小説を書く露伴も、娘に家事をしつける露伴も、みな露伴という人間の一部である。
そのどれを欠いても露伴は露伴ではない。
こんどは俳諧に興じる露伴をちょっと覗いてみたいと思うのだ。