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読むことと生きること

なにを読み、なにを考え、どう生きるか。
私の場合は、おおまかに分けて、「深く読みこんで自分の生きる糧にしたい読書」と、「ただ読んで楽しい純粋な娯楽としての読書」があります。

食事で言うなら、前者が主食で、後者がデザートといったところ。
今回は、前者の読書(主食の方)について書いてみたいと思います。

「好きな本が、自分の人生のなかでどういう意味をもっているのか?」

大げさだと思われるかもしれませんが、これは私のなかでいつも渦巻いている問いです。
本が好きな方の中には、頷いて下さる方もいらっしゃるかもしれません。

もちろん、無理をして読書と自分の人生を結び付ける必要はないと思います。
それに、読書をなにかの「手段」と考えてしまうことは、それが持つ本来の楽しみを、味気なく、難しく、近づきがたいものに変えてしまいかねない。
だから、そんな余計なことなど考えず、読書を純粋に楽しむ。
これはこれで立派な姿勢だと思うのです。

ただ、私の性分としては、読書の楽しみを純粋に享受するだけでは飽き足らず、それが感動した作品であればなおのこと、自分の生活や人生に何らかのかたちで関わらせ、紐付けてみたい。
そんなふうにも思うのです。

私はこれまでの人生で、それなりの時間を読書に充ててきました。
私にとって大切なその営みを、自分の生活から孤立させたくないのです。
好きな著者、好きな本、好きな一節。
それを自分が好きであるという意味を考え、生き方に重ねること。

著者を大事に本を読んで、そこに自然に浮かび出る自分自身の ー 自分の生活現実から生れた、したがってそこから出発せざるをえない ー 感想を何よりも大切にし、それを大事に育て上げるようにして下さい。そして、感想をまとめる場合には、全体のなかで要するにどこが一番自分に面白かったか。つまり、そこのところの一つでも、この本を読んでよかったと思われるところは何か、あるいは何と何かをまずハッキリさせる。そして、それは ー そこが自分に面白かったのは ー 何故であろうかを考える。

内田義彦『読書と社会科学』岩波新書、p.61

内田義彦は「読書の基本」として、こんな言葉を残しています。
これは、自分自身に引き付けて読む、自分の「生活現実」と関わらせながら読むという意味で、私がお手本としたい読書の方法です。
「自分の生活現実から生れた、したがってそこから出発せざるをえない 」というところ、私はとても好きな表現です。

また一方で、好きな本はできるだけたくさんあった方が嬉しいのはたしかですが、読書というのは、たくさん読めばそれでよいのでしょうか。
私は、多読そのものを強調し、ただ単に博識や博覧強記を誇示するような、これみよがしの「教養」にはあまり興味がありません。
多読を誇ることにもあまり意味を感じられません。

本当の教養、つまり自分自身の生活に根ざした知恵というのは、そういった教養主義的なものとは似て非なるもので、自分の血肉になっているかどうかが何より大切だと考えています。

熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。

ショウペンハウエル著、斎藤忍随訳『読書について』岩波文庫、p.128-129

ショウペンハウエルならではの、切れ味の鋭い警句ですね。
読書を食物に譬えているところも、イメージが豊かに伝わってきます。
読んだあと、「あ~面白かった!」で終わるのもよいのですが、そこで立ち止まって考えてみる。
気になったところを再読してみる。
時間をおいて、また読んでみる。
そうやって、ゆっくり消化していく。
こんな関わり方ができるのもまた、読書の醍醐味と言えるでしょう。

ちなみに、『失われた時を求めて』の作者として有名なマルセル・プルーストは、ラスキンの翻訳(創作の前は翻訳や批評をしていました)の序文で、「私たちの叡知は著者のそれが終わるところから始まる。(中略)読書は精神生活の入り口にある。」(「読書の日々」)とも言っていますね。
読書を終えてからが勝負であり、そこが入り口なのだと。


どんな作品であれ、それが人間(あるいはそれを取り巻く社会、自然など)を描いたものである以上、小説にも哲学書にも学術書にも、読み手の生活に関わらせたり、何らかの刻印を残すような読み方があるはずですし、それが優れた作品であればあるほど、その影響力は普遍性を持ちうるものだとも思うのです。

そんな作品を、「全体のなかで要するにどこが一番自分に面白かったか」(内田義彦)を探りながら、「ゆっくりと熟慮を重ね」(ショウペンハウエル)つつ、「精神生活の入り口として」捉えなおして読んでみる。

本の読み方は人それぞれ自由であり、唯一絶対の正解などありませんが、私はそんな読み方もあっていいのではないかと思って、日ごろ考えている読書について少し書いてみました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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