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心に残ることば_2(自然をみる目)

風の吹くこと、水のながれ、穀物の生長、海の波だち、春の大地の芽ばえ、空の光、星のかがやき、これらをわたしは偉大だと考える。
壮麗におしよせてくる雷雨、家々をひき裂く電光、大波を打ちあげる嵐、火を吐く山、国々を埋める地震などを、私は前にあげた現象より偉大であるとは思わない。いや、むしろ、小さいものと考える。
なぜなら、それらも、はるかに高い諸法則のはたらきによって生れたものにすぎないからである。

外的な自然においてそうであるように、内的な自然、すなわち人間の心についても事情はおなじである。
ある人の全生涯が、公正、質素、克己、分別、おのが職分における活動、美への嘆賞にみちており、明るい落ちついた生き死にと結びついているとき、わたしはそれを偉大だと思う。
心情の激動、すさまじい怒り、復讐欲、行動をもとめ、くつがえし、変革し、破壊し、熱狂のあまり時としておのが生命を投げだす火のような精神を、わたしはより偉大だとは思わない。むしろ、より小さいものと思う。
なぜなら、それらは、嵐や、火山や、地震などとおなじく、それぞれの一面的な力の所産にすぎないからである。

シュティフター作、手塚富雄・藤村宏訳『水晶』岩波文庫、p.280-283


美しい自然描写が印象的なシュティフターの作品群。
とくに「石さまざま(Bunte Steine)」はバラエティに富んだ諸作品から構成されていて、どれを取ってもしみじみとした感動を与えてくれる。
ここに挙げたことばは、その「石さまざま」の序文として書かれた文章の一部であり、シュティフターのまなざしを端的に表現してくれているように思う。

彼は、決して大言壮語を吐く人ではなかった。
むしろ、身近にあるもの、自然の一風景、人びとの静かな生活を好んで描いて倦むことがなかった。
それを、退屈だと思う人もいるかもしれない。
ただ、私はこの序文だけを読んでいても、とても感じ入るものがある。

トーマス・マンは、シュティフターを評して「世界文学の最も注目すべき、最も奥深い、最も内密な大胆さをもつ、最も不思議な感動をあたえる小説家の一人」(『ファウスト博士の成立』)と語っている。
至言だと私は思う。

ところで、この序文を読んでいると、私は、『注文の多い料理店』の序で、「すきとおったほんとうのたべもの」と書いた宮沢賢治のことを思い出す。
彼もまた、シュティフターと同じく、身近なもの、風や日の光、草木や花々から、溢れるばかりの糧を得て、作品として結晶化させた。
もちろん作風は異なるけれど、このふたりは、もっていた資質のようなものが近かったのではないかと思われる。

それともう一つ。
シュティフターと宮沢賢治の作品の中で、ともにそれぞれ鉱石(鉱物)が重要な役割を果たしていることも見逃せない。
ふたりとも野山を歩き、自然から多くのものを学んだこと、そしてそのなかでも鉱石(鉱物)を好んだことは、示唆に富むように思う。

いずれにしても、おそらく最近あまり読まれることが少ないと思われるシュティフターだが、忘れられてほしくない作家だ。
私は彼の静かな作品が大好きだ。



「心に残ることば」を取り上げるにあたって綴った序文です。


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