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心に残ることば_3(心情の聡明さ)

愚かしくも生意気であった私は、とかく人の価値をその知的な力量と業績から判断しがちだった。私にとっては、論理のないところにはなんらの善きものはなく、学問のないところになんらの魅力もなかったのだ。
今は二つの形式の聡明さ、つまり頭脳の聡明さと心情の聡明さとを区別しなければならないと思うようになったのだ。
そして後者の方をはるかに重要なものとみなすようになったのだ。
聡明さは問題ではないなどというほど、私は浅はかな人間ではない。愚者は怠屈であるとともに有害でもあるからだ。
しかし、私の知る限り、最も立派な人たちは理知でなく心情によって愚行から救われた人たちなのだ。そういう人々に接してみると彼らはいかにも無知で、偏見が強く、とっぴな見当違いな議論もやりかねないのだが、その顔は親切、柔和、謙遜、寛容といった美徳で神々しいほど輝いている。
このような美点を備えているばかりでない。それとともにそれを用いるすべを彼らは知っている。いわば心情の聡明さをもっているのだ。

ギッシング作、平井正穂訳『ヘンリ・ライクロフトの私記』岩波文庫、p.58

この文章を読んで想起したことを少しばかり。

ごく私的な話になるが、すでに亡くなった祖母のことを思い出す。
まだ私が実家で暮らしていたころの話。

夕方ごろになると、祖母はいつも仏壇に向かって「今日も家族が元気で過ごせました。ありがとうございます、ありがとうございます。」と感謝のことばを繰り返し捧げ、しばらく読経のようなことをしていた。
私はその傍らで本を読んでいることが多かった。

「読経のような」と書いたのは、実際はお経を上げるというほどのものでもなかったからだ。
もとは曾祖母やお寺の住職から習い覚えたのだろうが、自己流に近い、お経のような、私的な告白のような、そんな混沌としたことばの連なりだった。

その内容は、ときには孫の健康や進学への祈願、さらには親戚の近況を案じるものに及び、それが般若心経の読誦の合間に割り込んできたりする。
決まった時間に仏壇に向かって繰り返されるのが我が家の日常だった。

祖母は、その生涯をずっと田舎で送った人で、家事に精を出し、田畑を耕すことに勤しんだ。
学を積んだわけではなく、活字といえば新聞や広告を読むくらいだったのではないか。
優しく穏やかな人で、偏屈でも狭量でもなかったが、田舎に古くから伝わる因習や迷信にとらわれていた部分はあったかと思う。
人の言うことをすぐに信じてしまうところのある、度が過ぎるくらいお人好しな一面もあった。

私はといえば、当時は祖母のような素朴さと単純さを、どこか小馬鹿にしていたものだった。
少しばかり本を読み、学業を積んで賢くなったつもりでいた私は、祖母のあまりの単純素朴さや、お人好しがもとで人に付け込まれる場面を見るにつけ、苦々しく思っていたものだ。

祖母は、私が読書をしているといつも決まって「あなたは本を読んでえらいね」と言ってくれたものだ。
それがどんな本であろうと、本を読むこと自体が偉いことと信じて疑わないようだった。

そんな祖母が発することばは「頭脳の聡明さ」には縁遠いものだったかもしれない。
しかし、いまから振り返ってみると、飾ることなく心のこもったそのことばには「心情の聡明さ」が溢れていたようにも思う。
家族を思う心根の優しさや、素朴で力強い信仰心にみたされていたように思う。
それは、衒いのない真率なことばだった。
形式にとらわれない生きたことばだった。

ギッシングが「はるかに重要」だと書いた「心情の聡明さ」は、祖母が仏壇に捧げた日々のことばのようなものを指すのではないかと思う。

私が愛読するシュティフターのことばが、この種の聡明さをよく表現しているように思うので、ここで引用しておく。
小説中のある登場人物の善良な心について描写した部分だ。

自分にはしかし善良で単純な、偉大な魂があって、それが水の低きに流るる如くひとすじに善をなすのだとは気づいておらず、人間ならば誰しも持ち合わす共通の宝にすぎぬときめてかかっているのだった。
シュティフター作、 加藤一郎訳『男やもめ』岩波文庫、p.200

おそらく祖母も、自分の心の優しさ、善良さを、誰もが持ち合わせている共通の宝だと信じて疑わなかったのだと思う。
だからこそ、簡単に人を信じたのだ。
いや、信じることができた、といった方がいいのかもしれない。

とりとめのない話になってしまったが、「心情の聡明さ」ということばから私の頭に浮かんだのは、こんなささやかな思い出だった。

「心に残ることば」を取り上げるにあたって綴った序文です。


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