心に残ることば_5(猥褻な書物)
如何なる書物でも、良く書かれていれば断じて危険ではない。
立派な文章で描かれるなら、生々しい事件、露骨な事実と雖も決して有害ではなく、精神を毒する所もない。
自然界にはあらゆるものが存在し、それ自体は道徳的でも不道徳的でもない。
唯それを表現する者の魂が自然を偉大にも、美はしくも、清澄にも、矮小にも、愚劣にも、悩ましくもする。
名文である猥褻な書物などは存在しない。
辰野隆『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』中央公論新社、p.258
この文章は『ボヴァリー夫人』を執筆するかたわらで、幼い愛姪の教育にあたってフローベールが語ったことばだという。
著者である辰野隆は谷崎潤一郎の旧友であり、彼の『春琴抄』や『蘆刈』を青年男女が読むことに対して、なんら憚ることはないと断言する。
フローベールが語るように、自然界に存在するものは、それ自体としては善や悪に分類されるものではなく、道徳的でも不道徳的でもないだろう。
そこに価値基準や判断を差しはさむのは人間だ。
だから、文学作品についても、それが優れた文章であれば、どんな題材を扱おうと猥褻にも矮小にもなり得ない、ということなのだろう。
「名文である猥褻な書物は存在しない」という力強い表現は、『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールが語るだけになおさら一層、説得力があると私は思う。
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「心に残ることば」を取り上げるにあたって綴った序文です。