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心に残ることば_6(雨を味わう)

こんな住まいを教授がわざわざ選んだのは、産み出すというよりむしろ受けとるといういとなみが本領だったこの人の文学的な能力にとっては、次第に沈滞し、消滅し、没落していくものの姿を観察することや、また人の引きあげてしまった邸の壁を鳥やその他の動物がだんだんと占領していくありさまを観察することのほうが似あっていたからなのです。
よくこの人の言っていたのは、自分にとっては、雨の降る日に窓辺にたたずんで、中庭のあざみやふきたんぽぽやその他さまざまな草木から水がぽとぽと滴り落ちるさまや、古い壁のなかに水気がしみこんでいくさまを眺めているのにまさることはこの世にない、というようなことでした。

シュティフター作『シュティフター・コレクション1 石さまざま(上)』p.163

私がとても好きな一節。
シュティフター「石さまざま」の『電気石』の文章で、登場人物のひとりである「教授」について描いたもの。
物語の筋とは直接関係のない描写だけど、何気ない文章にふと目が留まってしまうのも読書の大きな楽しみのひとつ。
朽ちていくもの、自然に侵食されていくものに対する静かで穏やかな視線を感じさせてくれる。

以前、東京の中目黒で「朽ちていくもの」を対象とした展覧会があり、枯れゆく草木や、使い込まれて独特の風合いをおびた家具などが展示されていて、とても興味深かったことを覚えている。

私が特に気に入っているのは、引用文の後半、雨が降る様子を眺めるところ。雨にぬれた草木のすがたやその佇まい、そしてそれらをつぶさに眺める目線を感じとれる。

私は雨や土、草木を思わせるような香りが好きだ。
湿った森を歩くときに感じる芳香や、雨に濡れた木々や地衣類、倒れた朽木に広がる緑苔の匂い。
草花のポプリ、パチュリ、白檀、くろすぐり、好きな香りはどこか雨に濡れた森や土を感じさせる。

雨粒が滴る葉草も色濃く、木々の間から静かに雨が落ちてくる、濡れた樹木の質感や手触り、朧に白く霞む濃密な空気が好きだ。

鳥のさえずりも途絶えて、森の中の包みこまれるような穏やかな雨音が、柔らかい土を踏む音に伴って耳に心地よい。

雨の季節は鬱陶しく感じることもあるけれど、穏やかな雨の日に山や森を歩くのは楽しい。
草木や花々を雨が洗う光景を眺めているだけで、心が深く落ち着いていく。

私はシュティフターのこの文章を読んだとき、「享受する」という営みの豊かさを思った。
登場人物である「教授」のように、私も何かを産み出す人間ではないのかもしれないが、対象をただ眺め、愛でることをもっと学びたい。

「学びたい」と書いたのは、近代以降、自然を観察や分析の対象としてしか見ることができなくなった人間にとって、ただ享受することは今となっては案外難しいものかもしれないから。

雨の中を散歩する際に本を持ち歩くとしたら、自然を豊かに享受する知恵を持っていたシュティフターの作品を私は選びたい。

「心に残ることば」を取り上げるにあたって綴った序文です。


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