ここが私の居場所
こんにちは、Reiです。
note初投稿となります。
フォローさせて頂いている方々のnoteを拝見し、自分も何か書いてみたいと思うようになりました。
今回は、私のいまの読書生活と、簡単な自己紹介めいた内容を書いてみたいと思います。
さて、とつぜん話が飛びますが、私の愛読書であるモンテーニュ『エセー』について少しだけ。
私はモンテーニュの生きる姿勢、考え方に強く共感の念を持っています。
「精神の自由」と、そのための場所を何よりも大切にしたモンテーニュ。
少しだけ彼の言葉を引いてみます。
『エセー』の中で、彼が、自身の書斎について説明している箇所です。
(『エセー』第三巻 第三章)
「ここが私の居場所である。私はここでの支配を純粋なものにして、この一隅だけは夫婦、親子、市民の共同体から守ろうと努めている。ほかの場所はどこであっても、私の権威は言葉だけのもので、実際のところはあいまいなものである。私の考えでは、自分の家に、だれにも左右されずに自由でいられる場所、とりわけ自分をねんごろに扱える場所、身を隠せる場所を持っていないものは、あわれである」
保苅瑞穂『モンテーニュの書斎』p.23-24 講談社
読書好きたるもの、こういう場所を持ちたいものです。
ここで少しだけ、いまの私の生活について。
無粋な内容で失礼しますが、少しだけお付き合いください。
私は、妻と子供2人との4人家族で暮らす勤め人です。
妻も働いていますので夫婦共働きです。
子供はまだふたりとも保育園児です。
家事や育児に翻弄される日々です。
早朝から掃除、洗濯、幼い子供ふたりの登園準備があります。
怒涛のようにそれらをこなし、子供を保育園に送迎し、仕事に向かいます。
正直、ここまでで結構へばっています。
そして、仕事に忙殺される日々です。
業務時間中は当然のことながら、たとえ昼食の時間であっても、自席で食事をとろうものなら、容赦なく仕事が舞い込んでくる。
「充実している」「求められている」と言えば聞こえはいいのですが、正直、生きた心地がしません。
本当の意味で人心地が付いて、自分の時間に充てられるのは、仕事から帰って、子供を寝かしつけた後の、就寝するまでの時間でしょうか。
疲れていて睡魔にも襲われますので、せいぜい1時間くらいです。
ここで、石垣りんの詩を引いてみたくなります。
「貧しい町」という詩の一部です。
一日働いて帰ってくる、
家の近くのお惣菜屋の店先きは
客もとだえて
売れ残りのてんぷらなどが
棚の上に まばらに残っている。
そのように
私の手もとにも
自分の時間、が少しばかり
残されている。
疲れた 元気のない時間、
熱のさめたてんぷらのような時間。
石垣りん『石垣りん詩集』p.116-117 岩波文庫
そう、「熱のさめたてんぷらのような時間」しか残っていないのです。
そんな毎日を送っていると、読書の時間を確保することもままなりません。
時間だけは無尽蔵にあった学生時代には、それこそ好きなだけ読書の時間を確保できましたが、それはもう遠い昔…。
さて、ちょっと後ろ向きなことを書いてしまいましたが、もちろん、いまの生活に希望や喜びがないわけではありません。
それどころか、結婚も、子供も、仕事も、すべて自分が選択し、それが叶った結果なのですから、いまの生活に感謝して毎日を生きています。
ただ、欲を言わせてもらうと、やはり「自分の時間」がほしいのです。
「精神の自由」がほしいのです。
”ないものねだり”をしていることは、重々承知です。
もともと、ひとりで黙々と読書をしたり、ひとりで山歩きをするのが好きな性分です。
決して人間嫌いではないのですが、おそらく人一倍、精神を充電するための「自分の時間」を必要とする人間でもあるのです。
まあ、面倒くさいですね。
だから、私は忙しい日常の中でも、モンテーニュのように「ここが私の居場所である」と言えるような場所がほしい。
「自分の家に、だれにも左右されずに自由でいられる場所、どんなに親しいものたちでさえ、妻も、子供も近寄らせない、純粋に身を隠せる場所を持っていたい」と思うのです。
それは必ずしも、家族を大事にしないということではないと思います。
モンテーニュのように大きな城館や書斎塔などはもちろん望みようがないので、そこは私なりの工夫が必要ですが…。
ともかく、それがたとえほんの少しの時間だとしても、その時間が私の生活に活力を与えてくれる。
何か明確な目的がなくてもいい。
そんな意識が高いことでなくていいのです。
ただただ、ほっと心が落ち着くような、日々の喧騒から離れて別世界に飛翔できるような、そんな時間を与えてくれる「自分の時間」、それが私にとっての読書の時間であり、いまはそんなことを考えながら読書をしています。
時間に限りがあるからこそ、ますます大切な時間だと思うようになりました。
モンテーニュの言葉が以前よりもさらに心に沁みるようになったのも、自分の経験によるものが多いように思います。
とりとめのない話になりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
これを読んでくださった方の中には、いろんな境遇の方がいらっしゃると思いますが、それぞれがご自身の生活の中で折り合いをつけて、たとえそれが短い時間であっても、「ここが私の居場所である」という気概をもちながら、充実した読書時間を過ごされることを願っています。