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大都会の大阪へ…奄美から

自叙伝を書き終えたら書くことが楽しくなった。何にも頭に浮かばないけど書きたいなぁと思う。徒然なるままに書いていこうと思う。
 高校を卒業して18歳で奄美大島から大都会の大阪に姉を頼って出てきた。大阪には中二の時に来たことがある。船場の大富豪が奄美大島に魚釣りに来て父はその時船を所持していたから、その大富豪が奄美にいる間、父の船を貸し切って魚釣りを楽しんだ。その時、家に遊びに来たから私も会いました。父に私を自分の家のお手伝いさんに欲しいということで、下見という形で大阪にきました。大阪に着いたとき騒音と人の多さと建物が隙間なく建っていることで圧迫感を感じ、風が吹いておらず緑が見当たらなくゴミゴミとした雰囲気に大都会は怖いという印象を持ちました。そして大富豪の家に向かいました。敷地の塀が立派で玄関を目指し歩いても歩いても見つからず何て広い家なんだろうと驚いた覚えがあります。家にはそのときお手伝いさんが2人いて忙しく働いていました。成人の子供が2人いて自由に生きているなぁという印象でした。奥さんがちょっと意地悪そうで波長が合いませんでした。何か疑われているのを感じました。明日もまたおいでと言われましたが行きませんでした。それからそのご主人と一年ぐらい文通しましたが、高校を卒業して大阪に来ましたが会いに行きませんでした。
 姉を頼って大阪に来てすぐに働かなければなりません。新聞広告で一流会社が募集しているのを見つけました。一部上場の大企業です。試験が受かり面接も通りいよいよ出社です。もうドキドキがとまりませんでしたが、上司が2人いてどちらもタイプは違いますが2人ともすごく優しくて仕事が楽しくて仕方ありませんでした。でも私に仕事を教えてくれる年上の女性が意地悪をして誰にも言えなくて我慢していました。おまけに休憩時間には女性だけでコーヒータイムをするのですが、意地悪な彼女の友達がこれまた相当意地悪で私のコーヒーだけお砂糖の代わりに塩を入れられたのです。今から50年ぐらい前の話ですので、あのころは意地悪な人がたくさんいました。私はまだ大阪弁には慣れておらず田舎の言葉丸出しでしたので馬鹿にされたのです。仕事は楽しかったのに会社に行って意地悪されるのが怖くて仕事に行けなくなってしまったのです。当社拒否です。2週間休みました。上司2人がそれぞれに家に尋ねてきました。私は思い切って上司に意地悪をされているのだと打ち明けました。上司はその上に相談し、私に意地悪をした人たちを違う部署に異動させてくれました。2年間は頑張って勤めたのですが辞めました。でも遊んでおられないのですぐに次の仕事を見つけ働きましたが、一年も経たないうちに会社が大変な状況になり希望退職者を募り私は応じました。なんと退職金が100万を超えたのです。こんな大金は初めてもらいましたので親や兄弟に配り手元に残ったのは20万円です。付き合っていた彼氏のアパートを借りるため残ったお金をみな使ったので手元には残りませんでした。あぶく銭だったので皆が喜んでくれたので嬉しかったのです。
一部終わり


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