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【1分で理解】源平合戦の裏切り者!? 源行家(みなもとの ゆきいえ)とは?


「俺こそが、源氏の天下を取るべき男だ!!」

源頼朝や源義経と同じ源氏の一族ながら、平家討伐に貢献したものの、
最終的には頼朝・義経の両方に敵対し、戦乱の中で散った――それが源行家じゃ!

彼の生涯は、まさに「波乱万丈」そのもの……。
果たして、行家は「英雄」だったのか? それとも「野心家」だったのか?


📜 源行家の基本情報

  • 生没年:?~1186年(平安時代末期)

  • 出身地:不明(源氏の一族)

  • 主君:以仁王 → 源義仲 → 源頼朝 → 源義経(転々とする…)

  • 特徴
    源氏の一族だが、頼朝とは対立!
    以仁王(もちひとおう)の令旨を全国に伝え、源平合戦を誘発!
    義経と共闘するが、最終的に頼朝に追討される…


⚔️ 源行家の生涯

① 平家討伐の火種をまいた男!

源行家は、源頼朝・義経の叔父(頼朝の父・源義朝の弟)にあたる人物。
しかし、彼の立場は「源氏の本流」とは言えず、長く不遇の時代を過ごしていた。

だが、1180年、大きな転機が訪れる!!

以仁王(もちひとおう)が、平家討伐の令旨を発布!
行家はこの令旨を全国の源氏に伝え、反乱を促す!
この令旨がきっかけで、源頼朝・木曽義仲・義経らが挙兵!

つまり、「源平合戦」の火種をまいたのは、行家の役割が大きかったんじゃ!🔥


② 源氏の間で主君をコロコロ変える…!?

行家は「反平家」の立場だったが、頼朝や義仲と対立し、
次々と主君を変えて生き延びていく……。

1180年:以仁王に仕え、平家討伐の令旨を全国に伝える!
1183年:木曽義仲(きそ よしなか)に従い、京都へ入る!
1184年:義仲が頼朝に討たれると、頼朝に従う!
1185年:壇ノ浦の戦いで平家が滅びると、今度は義経に接近!

行家は、どの勢力が勝つかを見極めながら、主君を次々と変えていったんじゃ!


③ 頼朝と対立! 義経と共に反乱を起こす!!

1185年、平家が滅亡すると、頼朝が日本の支配者へ!
行家:「俺にも恩賞(領地)をよこせ!!」
頼朝:「ダメだ、お前は信用できん!」

この処遇に不満を持った行家は、頼朝に反旗を翻し、義経と共に挙兵!

1185年10月、「義経・行家の反乱」勃発!!

義経・行家、京都で後白河法皇に接近!
頼朝の命令で、京都の守護・北条時政が鎮圧へ!
義経は逃亡し、行家も追われる身に……


④ 1186年、ついに捕らえられ、処刑…

行家、全国を逃げ回るが、ついに捕縛される!
1186年、京都六条河原で斬首……

こうして、頼朝に反旗を翻した行家は、無残な最期を迎えたんじゃ……。


🏯 源行家の功績と評価

良い面

  • 以仁王の令旨を広め、全国の源氏を奮起させた!

  • 源平合戦の重要なキーマンの一人だった!

  • 戦略的な動きで、頼朝に対抗し続けた!

悪い面

  • 主君をコロコロ変え、信用を失った

  • 頼朝・義経の間を行き来し、最後は味方を失った

  • 戦略は優れていたが、最後は力尽きて滅亡


🎤 まとめ

「味方を変えすぎた男、最後はどこにも居場所がなかった……」

源平合戦を引き起こした重要人物ではあるが、
最終的には頼朝の権力の前に敗れ去った男、それが源行家じゃ!

もし彼が頼朝と上手くやっていたら、歴史は違っていたかもしれぬ……!

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