歴史は切り返す。~細菌学の父北里柴三郎について~
志村けんさん、亡くなっちゃいましたね。
感染症は今までも人類を恐怖に陥れていて、時代はやはり繰り返されているんだなって実感しています。
感染症と言って思い出す日本人と言えば
北里柴三郎
感染症の歴史を調べていたら、詳しく出てきたので、今日は北里柴三郎のことを書きながら勉強していきたいと思います。
まずは北里氏は私と同じ九州出身。 熊本県の生まれです。
知らなかったけど、次の千円札に決まってたんですね。知らなかった・・・
「日本の細菌学の父」と呼ばれてたみたいですね。
ペスト菌を発見し、
破傷風の治療法を開発したなど感染症医学の発展に貢献した人です。
晩年は実業家にもなったみたいだけど、なかなか不遇の時代が続いたようです。
少年時代編
少年時代、実家が由緒正しいおうちで、母親は教育ママ。
当然、熊本でも優秀な成績で当時の医学部がある高校へ進学。
そこから現在の東京大学医学部へ進学したという、かなり優秀な生徒だったみたいなんだけど、
できすぎて、教授の論文へ口出しばかりして、何度も留年して、8年かけて卒業してます。
なんか、ちょっと、性格ヤバそう(笑)
でも在学中に予防医学こそ医師の仕事だと強い確信も持ち、生涯、予防医学を仕事します。
この二つのエピソードからも”こうと思ったら貫く”性格だったようですね。
留学編
卒業後、東大の教授を経て、ドイツのベルリンへ留学します。
そこで
破傷風菌の治療法を発見して世界の医学界を驚嘆させました。
それからジフテリアの研究論文で共同研究者のベーリングと第1回ノーベル生理学・医学賞の候補に挙がるんです。
でも結果は、ベーリングだけが受賞するんです。
理由は色々あるのですが、ほんとのところは「人種差別」だと言われていますが証拠は見つかっていません。
昔の人種差別はきっと露骨にあったのは想像がつきますね。
こういう差別がなくなる世界になってほしいと願います。
しかし、その論文がきっかけで、柴三郎は海外でスゴイ待遇で多くの大学から声がかかるんです。
でも、大学から多くの招きを受けるが、留学の目的は日本の脆弱な医療体制の改善と伝染病の脅威から日本国民を救うことであると、柴三郎はこれらを固辞して1892年(明治25年)に帰国したそうです。
やっぱり、一度決めたことは貫く人ですね。
しかし、ここからも苦労が絶えない柴三郎です。
帰国後編
帰国直後、今度は
当時の日本人に多かった”かっけ”と言う病気の原因で恩師ともめます・
まぁ柴三郎が正しかったんですけどね。
それが原因で、母校の医学部を敵に回してしまうんです。
そして、そこから活躍が限られる状態での部署で仕事をさせられるんです。
今でいう左遷ってやつです。
すっかり、日本での居場所をなくし、やる気も失った柴三郎。
もう一度、ドイツへ戻ろうかと思っていた矢先、救いの手が差し伸べられるんです。
それ福沢諭吉。
北里の話を聞いた福澤は、
「この男に活躍の場を与えないのは国家の損失だ」と悟った諭吉は会ったその場で、
「とにかく小さくても仕事を始めて、それから方策を考えればいい。私が芝公園に借りている土地があるから、そこに必要な建物を造ってスタートしようじゃないか。毎月の研究費も私が負担するから、費用を計算してくれないか」
と促した。
後で分かったことだが、その土地は、福澤が子女の将来のために用意していたものだった。
福澤の大きさに圧倒され、勇躍の気構えを整えた北里は、そこに六部屋の小さな研究所を造り、
それを足場に研究陣を拡充し、やがてヨーロッパの大研究所にも比肩する北里研究所を設け、日本の伝染病研究の中心としての地位を築いていったそうです。
一万円札に乗るだけあって、諭吉さん太っ腹です!
福沢諭吉没後、諭吉の悲願であった慶應義塾医学科を翌年に設立を果たしました。
柴三郎は初代学科長となったのですが、その就任にあたり、北里はひとつ条件を出しました。
それは、医学科創設と医学科長就任は福澤の恩義に報いるためのものなので、給料その他の報酬を受けることは一切できないというものだったんです。
実際、柴三郎は1928年(昭和3年)に学部長を辞するまで、その約束を守り続けたそうです。
やっぱり、柴三郎は一度決めたことは貫く人なんですね。
柴三郎が治療法を見つけたペスト菌は6世紀に東ローマ帝国を中心に起こった第1回のパンデミックは約200年続き、1億人以上の死者を出したとされる恐ろしい感染症。
流行の中心は地中海沿岸であったが、ペストはイギリスにまで達したという記録があり、パンデミックはヨーロッパの隅々にまで広がったとも考えられています。
そんな、恐ろしい感染症の原因を見つけ、治療法を発見し、世界中の人を救ったのが北里柴三郎です。
一度決めたことをとことん貫く柴三郎の性格のおかげで、私たち人類は助けられたのかもしれませんね。
それではまた、日本大好きまーさが、気になった日本の偉人をお伝えします
では、また~