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#15 【感謝】リハビックスが6周年、7年目へ突入!
弊社が運営するリハビックスが、本日8月1日で6周年を迎え、7年目へ突入しました!利用者さんと、利用者さんを任せてくれているご家族の皆様、そして一緒に頑張ってくれているメンバーには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
ここまでの話
2013年4月末。僕は新卒で入社し5年勤めた会社を辞めて沖縄へ移住しました。投資家からの出資と金融機関からの資金調達により会社を設立し、8月1日にリハビックス那覇店、リハビックス宜野湾店の2店舗を同時にOPENしました。そこから全てが始まりました。僕が28歳の時でした。
会社を設立してすぐ、今後の展開を考えるにあたり、
1、沖縄という土地のことを全く知らないこと
2、介護医療福祉といった業界自体が未知だったこと
3、2店舗同時OPENとその後もスピードを重視したかったこと
このようなことから、僕ともう一人、同じ感覚で仕事が出来て且つ僕とキャラや得意分野が被らず、そして何よりも信頼できる仲間が必要と直感しました。それで加わってもらったのが前職の同期で、現在弊社の常務である吉元でした。
彼は当時東京でバリバリ仕事をしていましたが、話をすると快諾してくれて、OPEN1ヶ月前には沖縄へ合流しました。彼は琉球大学大学院まで6年間沖縄で生活していたので土地勘もあるわけですが、仮にそのアドバンテージが全く無かったとしても、僕の中では彼以外は考えられませんでした。
吉元も合流したことで、8月に那覇店と宜野湾店を同時OPENさせることが出来たわけです。
(...実は当時僕は免許が2年以上前に失効しており運転も出来ない状態でした。会社設立と2店舗のOPEN準備で教習所に通うことなど叶うわけなく、食事中やトイレや寝る前などの隙間時間にスマホで学科試験の問題集を解きながら卒検や実技をパスして最短で免許も再取得したのでした...ほぼ自転車で開業準備しました。)
さて、開業後は僕も吉元も介護やデイのことは全てが初めてだったので、しばらくは現場で皆と一緒に仕事をしながら一つ一つ学習していくスタイルで始めました。吉元は那覇で、僕は主に宜野湾でした。
吉元はその後がっつりと現場に溶け込みながら仕事を続け、redcordを使った個別訓練では、とうとう利用者さんから「先生」と呼ばれるようになっていました笑。
一方僕は生活相談員の資格要件を満たしていたこともあって、担当者会議やアセスメントは数え切れない程経験することになりました。
現場の実務で出てきた疑問を一つ一つ、取りこぼしなく調べていくうちに、だんだんと業界全体のこと、介護保険制度のことなど大きな絵も見えてくるようになりました。専門家の講演や書籍、ブログなども読み漁り、自分の中に課題意識が芽生え始めました。
そうしていくうちに経営者としての仕事、僕らのデイはどこを目指すべきか、そのために何が、どんな順番で必要かを考えられるようになりました。今日に至るまで、僕自身の意識も大きく変化してきたことを、創業から僕を見ているメンバーはきっと感じているだろうと思います。
2年目以降は、リハビックス浦添店、北谷店、首里店、コザ店、うるま店と、1年に1拠点以上のペースで出店を続けています。
これから前に進む上でのこだわり
介護報酬の削減、そして人材(採用/定着/待遇改善)は、経営者を悩ます2大問題であるが、この2つの課題を同時にクリアする戦略は、今僕の中で割と明確になっています。
これからは、ひたすら実行していくフェーズだと捉えています。多事業所化もその一つ。今年冬には読谷村に8店目の出店を計画しています。
実行に必要なことを淡々と、理想ばかりに拘らず、時として必要な妥協やWIN WINではなくルーズルーズの取引も想定しながら、常に柔軟に、諦めず、そして愛のあるお節介を、最前に立って取り組み続けたいと思っています。
これからもリハビックスを、そしてベストライフをよろしくお願いします。
2019.8.1
株式会社ベストライフ
西川雄太