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虎とダリア⑤

前回のあらすじ

西園寺雫と八神虎の関係に、ついに西園寺家が介入を始めた。虎は雫の家の手先から脅迫を受けるが、それをきっかけに雫は父との対決を決意する。屋敷に戻った雫は父に、虎への干渉をやめるよう毅然と求めた。父は冷徹に家の名誉と責任を説くが、雫は「私が選ぶのは、私の人生」と鋼の意志を示す。父は渋々ながらも干渉を引くことを認めたが、その裏にはさらなる試練を予感させるような余韻が残る。

第九章:嵐の前の静寂


雫はその日の夜、神社で虎と会った。凍てついた夜の風が二人の間を吹き抜ける。虎はベンチに座り、少し焦れたように煙草を指で弾いていた。

「どうだったんだよ」

虎が尋ねると、雫は微笑んで答えた。

「父は――理解してくれたとは言いませんが、少なくとも私の意志を受け入れると言ってくれました」

「マジかよ……あの頑固そうな親父が?」

虎は信じられない様子で眉を上げた。雫は小さく頷きながら言った。

「でも、これで終わりではありません。私たちはまだ試されていると思います」

その言葉に、虎は目を細め、夜空を見上げた。

「試されてる、ね……ま、そりゃそうだろ」

二人はしばらくの間、言葉を交わさず、ただ夜の静けさを感じていた。それでもその静寂の中には、確かに温かなものがあった。二人の間に流れるものが、少しずつ絆として形を成している――そんな感覚だった。

次に来る嵐の前に、二人は今、この短い平穏を味わっていたのかもしれない。



第十章:揺るがぬ信念


雨上がりの夕方。虎の家の薄い窓ガラス越しに、街灯の白い光がぼんやりと揺れていた。湿気を含んだ冷たい空気が部屋にじわりと染み込み、生活感のない静けさが漂う。狭い部屋の片隅には割れた灰皿が放置され、古びたカレンダーが壁に斜めにかかっている。この家は、過去の記憶と諦念の象徴そのものだった。

虎は椅子に腰掛け、ぐしゃぐしゃに丸められた紙を睨みつける。西園寺家から送りつけられた立ち退き命令書。その文字が、まるで自身の存在そのものを否定するように思えた。紙の隅が濡れており、それが雨のせいなのか、それとも自分が無意識に握りしめた汗なのか、分からなかった。

「家を奪うか……くだらねぇ……」

虎は低く呟くと、丸めた紙をゴミ箱に投げ込んだ。だが、そんな簡単に怒りや無力感が消えるわけでもない。胸の奥で燃え続ける憤りが、体の芯から動けなくしていた。

頭に浮かぶのは雫の顔だ。いつも冷静で、品のある微笑みを浮かべる彼女。しかし、ふとした瞬間に見せる脆さが、虎の記憶に強く焼き付いている。彼女は孤独だ。自分と同じように、世間や家族の期待という名の檻に閉じ込められている。それでも彼女は、その檻を自分の力で壊そうとしていた。

「……逃げるわけにはいかねぇな」

立ち上がった虎は窓の外を見た。路地裏の向こうに見える駅の明かり。その先には、彼女がいる――そう思うだけで、足元の重さが少しだけ軽くなった。

翌日、虎は街中で再び不穏な気配を感じていた。朝の通学路、背後からの視線が途切れることはない。見張られている――そんな直感が背筋に刺さる。

放課後、夕暮れが差し込む街角で、ついにその気配が虎を包み込んだ。黒いスーツに身を包んだ二人組の男たちが、路地の出口を塞ぐように立ちふさがる。

「八神虎。少し、話がある」

「……またお前らか」

虎は声を低く落とし、男たちを睨みつけた。目の前の二人の顔には、明確な敵意が浮かんでいる。それを感じ取ると、自然と虎の中の野性が目を覚ます。拳を握りしめる音が静かな路地に響いた。

「俺に何を話す気だ? どうせ雫のことだろ」

虎が吐き捨てるように言うと、男たちは互いに目を合わせ、小さく笑った。その笑みには冷酷さが滲んでいた。

「察しがいいな。お嬢様から手を引け。それだけだ」

「……で、もし俺が断ったら?」

男たちは一瞬黙り込む。だが、次に発した言葉は冷たく、鋭い刃のようだった。

「お前の周囲すべてを壊すだけだ。住む場所、仲間、将来。何もかも失うことになる」

その言葉が、虎の胸の奥に残っていた怒りの炎に油を注いだ。

「……笑わせるな」

虎の声は低く、地を這うような音だった。鋭い目で男たちを睨みつけながら、一歩前に出る。

「俺には失うもんなんて何もねぇ。家なんてボロだし、将来も初めからねぇよ。でもな――あいつだけは誰にも渡さねぇ」

その言葉に、男たちは微かに眉を動かしたが、冷たい態度は崩さなかった。

「そうか……なら、後悔しろ」

男たちは背を向け、その場を去った。彼らの靴音が遠ざかる中、虎は拳を握りしめたまま動かなかった。


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