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「死」と向き合うこと

こんにちは。
なんとも暗いこのタイトルについて長い期間一人で向き合ってきました。
大学四年の夏から今まで。

「死」というのは生物学上受け入れなくてはならない事象です。仕方のないこと。だけど「加齢」や「死」は悲観的に捉えられがちです。そりゃそっか。

細胞

私も、あなたも、虫も鳥も何もかも生きているものは基本的に細胞で出来ています。細胞はいつか枯れたり朽ちる。物理的に無くなります。

亡くなった人は、焼かれて目の前から見えなくります。それはそれは単純なことなのに、当たり前なことなのに「嫌だ」「辛い」「怖い」
そんな感情や思いが付きまといます。

日々生活していて、人間という生き物はなんておろかなんだろう。
なんて傲慢なんだろうと思います。
単細胞だなあと。
地球を汚し、地球に負荷をかける自分達のことしか考えられない生き物だと思います。
金や欲求にまみれる人もいます。罪を起こす人もいます。
けれど、地球に負荷をかけている自分という存在がそもそも地球環境を悪化させている?とも思ってしまう、そんな日があります。(くだらない)

幸せに生きる

とはいえ、私はこの命を全うするという使命を受けて生まれてきたので、
ここでフェイドアウトすることもしたくないし。
地球のためには地球環境を良くする活動を心がける事しか出来ません。

せっかくなら幸せでいたいし。
健康で、幸せでいたい。この先長い人生を穏やかに温かく生きていきたい。

一方で「死」を宣告された人、余命宣告を受けた人
そういう方は100mを全力疾走するようなエネルギーやパワーを持っていると思います。そして、これからを生きる人達に向けてメッセージを送ってくれます。

私の母は、「そう長くない」と悟った時から
事務所の仕事内容や家計のことをまとめ、必要な情報を全て図に残してくれました。
自分自身の健康保険資格喪失証明書を書いてファイリングしていました。
さすがにこれはやるせなかったです。今見ても涙が止まりません。
この書類やまとめをしている時にどんな気持ちだったかと思うと、胸が苦しくて締め付けられます。

「病と共存する」と強気でいたけれど、辛かったよね。幸せだった?
そう話がしたいです。

「死」と「生」

死を想像すると生を鮮やかに描ける気がします。

死生観という言葉があるように、生きるを大切にすることは「死」を大切にすること。そう思っています。

まあ、私は120歳まで生きるのです。
母の分まで生きないと。

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