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【記念日掌編】半分こ
金曜の夜、田中はいつものように残業を終えて会社を出た。今週も無事に終わった。いや、無事というよりは、ただ終わったと言うべきか。オフィスの中での会話はそれなりにできる。業務に支障が出るほどのコミュニケーション不全はない。ランチタイムには同僚たちと他愛もない話をしていたが、仕事が終われば、その関係もまた一瞬で霧散する。オフィスの外では、誰も田中の存在を気にかけてはいなかった。
「お疲れ様です」と声をかける同僚たちも、軽く挨拶を交わすだけで、そのまま別々の道を歩んでいく。金曜の夜、田中はいつも同じように一人で帰るのが日常だった。誰かと飲みに行くこともなく、誘われることもない。それが日常になってしまえば、さほど不満を感じなくなるものだ。しかし、今夜はいつもより少し心に冷たい風が吹いていた。
「飲み会あるみたいだけど、誘われなくて楽でいいや」
そう自分に言い聞かせる。飲み会に行ってもどうせ居場所がないと感じるだろうし、気を使って笑顔を浮かべる自分が目に浮かぶ。それでも、本当のところは自分も誰かに誘われたいと思っていたのだろうか。田中は、どこかで自分を否定し、そう思う自分を受け入れたくなかった。
外は冷たい風が吹きつけ、田中は体を縮めて歩き続けた。吐く息が白く、頬にあたる冷気が心にまで染み渡る。この寒さの中、一人でいることがこんなにも寂しく感じるのは何故だろう。いつもなら、ただ帰宅していつもの夜を過ごすだけだ。それなのに、今夜は何かが違っていた。
ふと足を止めた田中の目に、コンビニの前で笑い合うカップルが映った。彼らは寄り添い、まるで寒さなど感じていないかのように楽しそうに話している。二人の距離は近く、温もりを共有しているのがはっきりと分かる。田中はしばらくその光景を見つめていた。
「俺とあいつら、何が違うんだろう」
そう思わずにはいられなかった。同じように生きているはずなのに、なぜ自分は誰かとあのような温もりを分かち合うことができないのだろうか?いや、それ以前に、そういう相手がいないことが問題なのだろうか。田中は頭の中で答えの出ない問いを繰り返し、心の中でじわじわと孤独感が広がっていくのを感じた。
「……寒いな」
その感覚に耐えきれず、田中はコンビニの自動ドアを押して中に入った。店内は明るく、外の寒さとは対照的に暖かい空気が流れていた。温かい空間に一瞬ホッとするが、それも束の間だった。ここにいても、誰かと温もりを分かち合うことはできない。自分一人だけのぬくもりに過ぎない。
レジ横に並んでいる肉まんが目に入った。蒸し器の中で、ふわふわとした肉まんが湯気を立てている。店員から差し出された温かそうなその塊に、田中は吸い寄せられるように手を伸ばしてしまった。
「これで少しはあったかくなるかな」
無意識にそうつぶやき、肉まんを手に取る。だが、本当にこれが欲しかったのかどうか、心の中では疑問が渦巻いていた。何かもっと別のものを求めているのだと感じていたが、それが何なのかはっきりとはわからない。
自宅に戻り、田中は肉まんをテーブルの上に置いた。その温もりは確かに感じられたが、何かが足りない。ソファに座り、テレビをつけてみても、頭の中に響くのは虚無感だった。ふと、何かが浮かんだ。
「そうだ、今日は記念日だ」
彼は突然、自虐的な笑みを浮かべた。そして、思いついたようにその日を「肉まん記念日」と名付けることにした。半分こする相手がいない人生の象徴としての記念日。誰とも分かち合うことのない温もりを、自分自身で皮肉を込めて祝おうと決めたのだ。
「俺の人生、誰ともこの肉まんを分け合うことができないんだな」
冷たい笑いがこみ上げる。温かさを共有することのできない自分自身の孤独を、田中は皮肉にも祝福するしかなかった。肉まんはすでに冷めつつあり、冷たいその表面が、どこか自分の人生のように思えた。
電子レンジで温め直すが、もう元通りにはならない。ところどころ固くなり、最初のふわふわとした感触は失われてしまっている。それを一口かじり、味気なさを噛みしめながら、田中は独り言をつぶやいた。
「温め直しても、もう元には戻らないんだよな」
その言葉がどこか心に突き刺さる。彼は窓の外を見ると、寒い朝が訪れていた。肉まん記念日。誰とも共有することなく、ただ自分自身の孤独を祝う日が、また一つ増えていった。
【桃井】