見出し画像

【記念日掌編】綺麗な肌

 夕暮れ時、私は彼女の部屋で淡い蛍光灯の光に包まれながら、彼女の手をそっと握っていた。彼女は何度も「美肌のためにはね、日々のケアが大事なの」と話してくれた。肌がどんなに綺麗になっても、彼女の少しずつ消えゆく命がどうにもならないのが、悲しくてたまらなかった。

 彼女と付き合って三年が経つ。若年性のがんだと診断されたのは付き合って二年経ったある日の事だった。それからは入退院を繰り返し、最近ではもう殆ど病院にいる。僕がいつものようにお見舞いに行くと、彼女は「今日は美肌の日なんだよ」と冗談っぽく言った。10月28日がどうして美肌の日なのか、二人で笑いながら話し、そこから色んな会話をした。記念日をわざわざ覚えるほど彼女は健康オタクでは無かったけれど、きっと少しでも日々に意味を持たせることで、彼女は自分が崩れていく事から目を逸らそうとしていたのかもしれない。

 そしてどうしようもなく運命の時はやってきてしまった。
 私たちの最後の会話は、記念日やスキンケアの事なんてどうでもいいくらい淡々としていた。けれど、辛そうな表情をずっと浮かべていた彼女が、軽く笑ってくれたことが、何よりも大切な記憶になった。
 彼女が亡くなった後、記憶に残ったのはあの美肌の日。私にとって特別な日になってしまったのは、彼女の意図しないところだったかもしれない。
 多分きっと、天国で怒っていると思う。顔に化粧水を叩きながら。

いいなと思ったら応援しよう!