高所恐怖症、タイムマシーン、Swing/忘れ者の日記3
ふと、思い出した台詞。なんで急に思い出したのかは分からない。多分、とても大事な台詞だったように思う。でも、わたしは高いことろが苦手なんだ、いわゆる高所恐怖症というやつ。きっかけもよく分からない。気づいたときには、すでに高い所は苦手だった。これに関連して思い出したことは、高校生の頃、定期試験のとある科目で学年1位の点数を取ったとき——たしか96とか94とかそんな点数だったように思う——、嬉しくて両親に報告すると「なぜ100点を取れなかったのか」と言われ、その次の試験で成績が下がりこっぴどく叱られたという記憶。ジャングルジムに登って降りられなくなった記憶、あるいはブランコを勢いよく漕いでいて、友人たちはそこから飛び降りて——子供ってなんで危険な遊びをするんだろうね——、わたしを置いて先へ行ってしまった記憶。こんなところだろう。降りることが許されないという感覚がそこにはあった。高所恐怖症は落下、墜落、堕落、そういったものに関わる記憶と繋がっている。
舞台になんて上がらなきゃよかった。わたしはここから降りるのが怖くてたまらない。イヤ、きっと降りることはできない。幕引きとは、つまりそういうことなのだよ。冒頭に引いた(小林が演じる)富樫の言葉は、わたしにとって祝福であり、呪いでもあった。この言葉は、何でもいいからとにかく書かなければと、わたしを焚きつけるんだ。そのとき、わたしの体には稲妻が走り、眼は失った輝きを取り戻す。自分の眼は眼自体を見ることはできないけれど、わたしはそれを映す鏡を持っている。
思い出した。この作品「アトムより」は、わたしに脚本を書くきっかけをくれたものだ。顧問の先生が勧めてくれたんだった。わたしはYouTubeにある動画を、台詞を諳んじることができるくらい観た。本屋に行って脚本集を買い、動画を観て音読し、音読して動画を観た。そうだ、落語やパントマイムもぜんぶこの人たちの影響だ。どうして忘れていたのだろう、こんなに大事なことなのに。「銀河鉄道の夜みたいな夜」で常磐が「僕は、ずっと誰かと一緒だった気がする」(小林賢太郎『小林賢太郎戯曲集 STUDY ALICE TEXT』幻冬舎文庫、2012年、277頁)と言っていたけれど、わたしにはその感覚すらなかった。
頭では忘れていても体が覚えていることはある。試しに数えてみようか。ひとつめ、高い所が苦手。ふたつめ、……。もうないかもしれない。自転車に乗ることも、背泳ぎも、大縄にタイミングよく入ることも、絵心も音感も腹式呼吸もどこに置いてきてしまったのかな。残っているのは「大昔に賞をもらったジンベエザメの絵」のかすかなイメージと「初めて聴いた吹奏楽」のあのSwingのリズムだ。あ〜あ、こんなときにクロノスジョウンターでもあったらいいのに。
昔、それこそわたしが小学生の頃、出来杉くんみたいなクラスメイトにある曲を教えてもらったことがある。わたしだけに教えてくれたわけではない。その場にいた何人かのうちの1人に過ぎなかった。たしか、彼が放送委員の子にその曲をリクエストしていて、それで休み時間にその曲が流れていたんだったかな。わたしはその曲が妙に気になってしまって、祖父母の家に帰ってから、まだ慣れないローマ字打ちでその曲を検索し、YouTubeに飛んだ。(文章を消した痕跡)あー、ちょっと消した。曲名は伏せようか。いずれにしても孤高、孤独、傲慢、「降りたくとも降りられないほど高い所にいる」といったテーマがちらつく曲だった。
降りられないといえば、この舞台、この人生、ああ美しき哉、我が水彩奴/suicide! 結局のところ、わたしは死にたくとも死ねない深海魚にすぎないのだよ。この列車は臨海/シーサイド線快速入水行き、折り返しはありません。深海魚は太陽を望むが、そこでは息ができない。海水の中は居心地がいい。塩気が傷にしみるけれど、少なくともこれまで生きてきたという痕跡がそこにはある。
イヤイヤ、ちょっと待ってよ、何を言ってるんだ、わたしは馬鹿か、あれほどダークサイドに飛び込むなと言ったろう、自己批判! 自己反省! なんのための鏡だ!
水面から顔を出し、呟くんだ。「いいよなー。飛べるやつは。」
おあとがよろしいようで。
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