過去に書いた文章が手元にある。パソコンの奥深くに眠っていたのを偶然掘り出した。おそらく、2022年の1月に書いたものだと思う。結構おもしろいことを書いていたので、少し長くなってしまうが、全文をここに展示しておこうと思う。
資金調達ができず、ここに出てきているタイトル『光の速さで生きて』の撮影が頓挫した後に書いたものだと思う。演劇一辺倒だったぼくが「映像」問題に取り組みだしたのは、コロナウィルスが流行しはじめた時期だった。ぼくは今は亡き「Zoom演劇」に、——ぼくの目からは閉塞しているように見えた——「小劇場界隈」の現状を打破する可能性を幻視していた。
『光の速さで生きて』は四つの章(ローマ編、サマルカンド編、香港編、奈良編)に分かれている。あらためて読んでみたのだけれど、「香港編」以降、ト書の印象がガラッと変わっているの。「字幕」という文字は最初からあるけれど「カメラ」という文字が登場する後半からだ。当時はまったく気がつかなかった。あれから何年か経って「脚本か、小説か、あるいは別の「何か」か」でも書いたけれど、ト書が少しずつ増えてきている。ちょうどこの頃、『光の速さで生きて』の小説版を書いていた。これは、たしかに「脚本」ではなかった。「脚本」と呼ぶにはあまりにも、ト書が細かすぎるし、そもそも舞台なんて最初からないような、「自由な」文章になった。
でも新しい「脚本」を書けば書くほど、舞台から「解き放たれ」て、映像的な表現に近づいていく。その一方で、最近書いた『冷たい熱視線』では、演劇的な感覚を取り戻そうとする努力が随所に見られる、と思う。わたしはずっと揺れているのだ。野外劇場のように、舞台を中心にすえて、どっしりと物語を展開するのがいいよのか、ぽっかりと穴の空いた中心をぐるりと周りながら、断片的な映像を紡いでいくのがいいのか、わたしにはわからない。意識的に漂いながら書いていた「言葉」だったけれど、いつしか悪魔と契約し、あるいは別の人格に乗っ取られるように、独りでに書き言葉が「漂う」ことを選び出した。上演は戯曲の翻訳、漂う言葉からわたしの言葉を取り戻さないと。
tadayo"i" kak"u" kotoba ⇒ tadayo"u" kak"i" kotoba
ぼく(i)ときみ(u)が入れ替わる