3.言の葉の裏側
昨夜、とんでもない夢を見た。ぼくは夕方に記事を書いて、夜にそれを投稿したのだが、昨夜見た夢はホントウに「無意識」の存在を認めざるをえないようなものだった。以下が昨夜見た夢の内容である。
ぼくは電車に乗っていた。JR大阪駅を出発した電車であると感じていた。しばらく乗って駅を降りた。大きな駅だったので、尼崎か三ノ宮だったような気がする。この駅のホームで1人の女性と出会う。(この女性の顔はまったく覚えていない。)
その女性と少し会話をしたあと、女性が「ここで待ってて」というようなことをぼくに言い残し、どこかへ行ってしまった。
ぼくはしばらく待った。そして、「待ってて」と言われたにもかかわらず、なぜかぼくは到着していた電車に乗り込み、来た道を引き返した。
(何を思ったのか覚えていないが)乗ってすぐ、一駅目で電車を降りた。小さな駅だった。(この駅は実際の路線には存在していない。)ぼくが駅を降りたとき、ホームにいた人たちはみんな電車に乗り込んでいき、そして発車した。
駅のホームにはぼく一人となった。後ろから発車のベルが聞こえたので、振り返ると、向かいのホームの電車も発車していた。向かいのホームにも誰もいなかった。
ぼくは誰かいるか探した。すると窓口に男(だったように思う)の駅員が一人いた。その駅員に「今日はもう(大阪方向への)電車は来ない」と言われた。
ぼくは女性と会った駅へ戻ろうと思った。そして向かいのホームへ行けないかと、地下通路や陸橋を探した。向こう側へ行く道はまったくなかった。
ぼくは慌ててスマホを取り出した。しかし電話もメールも繋がらず、もう女性と連絡が取れないことがわかった。その時、向かいのホームを快速電車が走り抜けた。
以上の話が、昨夜ぼくが見た夢の内容である。昨日書いた記事が夢として現れるとこうなるのかと思わされた。「手紙」はメールとして現れ、「線」は線路として現れた。そして向こう側のホームへ行くことができないというある種のカフカ的な状況が「断絶線」として現れている。
フロイトは、夢は無意識の願望充足である、と述べているが、これのいったいどこが願望充足だと言うのだろう。むしろ、これは不安夢ーーもっと限定して言うのであれば、反復強迫としての夢ーーであろう。反復強迫とは強迫神経症やトラウマの身体的な症状である。フロイトはそれを患者の性格的な傾向を決めるひとつの要素だと述べている。
つまり、ぼくのこの夢ーー言葉のイメージに引きずられるままに現れたこの夢ーーの裏側には、何かしらのトラウマ、あるいはそれに準ずるものが潜んでいるということになってしまう。しかし、それは完全に無意識下に抑圧されてしまっていて、思い出すことはできない。
「ときに人間関係という糸を巻き、人間関係という糸に巻かれながら、過去に喪ってしまったかもしれない何かを求めて、糸巻遊びに興じるしかない」と以前書いたが、「過去における喪失」は、このような夢という形によって、あくまでも可能性が示唆されるにすぎない。
考えようによっては、このような夢も「手紙」と言えるだろう。これもまた、コミュニケーションの遅延と確認不可能性を孕んでいるからだ。もちろん、この「手紙」の差出人も宛先も自分ではあるのだが。
自ら駅を立ち去って、来た道を引き返したという夢の内容を見る限り、やはりぼくは誰かとコミュニケーションすること自体を無意識的に避けようとしてしまっているのだろうか。しかし、昨夜見た夢を「怖い夢」と判断しているぼくは、コミュニケーションの回避をしようとしているのと同時に、いざホントウにコミュニケーションが取れなくなってしまうーーすなわち「絶縁」状態になるーーことをとても恐れている、というふうにも解釈できるだろう。
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