なかなか浮上してこない中日ドラゴンズ
チームは29日まで10試合連続2得点以下で、1956年に記録した球団ワーストの11試合連続にリーチをかけていたが、なんとか10試合で歯止めをかけた。
今年は期待しかなかっただんだけど、ここ数年と変わらないような戦いぶり。
ファン目線での原因について考えてみた。
中田翔選手の獲得
4番固定問題はここずっと言われ続けていたことだが、中田翔獲得によってついに終止符が打たれると期待されていた。しかし、打撃は期待通りとはいかず、現在は腰痛なのか2軍で調整中となっている。
期待は大きかったが、ピークはすぎ、成績が下降気味だったと言われれば、期待しすぎてしまったのかもしれない。描いていた成績は4番を1年継続し.打率250、ホームラン30本、80打点をしてコミットしてしまっていた。今思えばV字回復の成績になるので、年齢的なことも考えると打率.250、ホームラン15本、50打点が妥当だったかもしれないが、腰痛ではそれも難しい。
バンテリンドームは広すぎるのか。
88年の辰年の優勝はナゴヤ球場だった。その時にバンテリンドームだったら彦野もゲーリーも落合も宇野も10~25本程度のホームランになっていたかもしれない。打点も減り、打率も下がっていただろう。その分投手戦が多くなり、野球の楽しみ方を考え直さなければならないのかもしれない。
となると、落合政権時代のようなつなぎの野球、守りの野球がこの広いバンテリンドームでもっとも勝てる勝ち方なのかもしれない。ファンとしては打ち勝ってほしいところだが、その期待はハードルが高いらしい。
中継ぎ、ストッパーは素晴らしい成績だが…。
88年の優勝時は郭源治が7回からストッパーとして3イニング登板しているときもあったが、現代の野球ではありえない。先発が150球以上投げたり、中4日で投げたりで使い捨てと言われた投手がたくさんいた。これが改善されたことはファンとしては、とてもうれしいことだ。今年の中継ぎ陣はしっかり1回つづを抑え、マルティネスが9回を締められる。6回までに勝っていれば、勝つ確率は高い訳だが点が入れなければ元も子もない。
まとめ
88年の優勝と比べると球場が変わり、選手の体の負担軽減が考えられ、その結果、昔と比べ勝つための戦略が大きく変わってしまった。
屋外の球場から屋内の球場に代わり、見やすく、雨を心配しなくていいので老若男女、球場行きやすくなった。ファンサービスも代わり、ドアラも有名になった。楽しみ方はずいぶん変わってしまったのかもしれないが、たくさんの人に野球を楽しんでもらうには今のほうが断然にいいことだと思う。
その上で熱狂できることが理想であり、これからも中日ドラゴンズの歴史を見つめながらファンをやっていきたい。
以上、ありがとうございました。