虐待に耐え死なないで済んだ理由その1
継母からの虐待が辛くて
学校ではいじめられて
そんな毎日にどうにか耐えられたのは
祖母の存在が大きかったと思う
記憶が定かではないが
おそらくは3歳の頃の数ヶ月は
祖父母と暮らしていた
祖父母はそれはそれは優しくて
特に祖母の事は大好きだった
継母と実父と暮らすようになってからも
夏休みや冬休みなどは
始まってから終わるまで
ずっと祖父母の家に預けられていた
その頃の私に取って
その期間だけがやっと普通に呼吸が出来て
飢えないで過ごせる天国のような日々だった
継母には毎日
バカだグズだお前なんか何も出来ない
と罵られていたが
祖母からは逆に
賢い、何でも出来る、器用だ、優しい良い子だ
と毎日褒められて
どっちが本当の自分なんだろうかと
子供心に悩んでみたりもした
辛くて辛くて
もうダメだ
明日こそ死のうとベッドの中で決意するけれど
祖母の顔が浮かんで
おばあちゃんがきっと悲しむなぁ
と思うとどうしても出来なかった
とはいえ
死ぬ方法も定かにはわかってなかったが…
おばあちゃんはとても器用な人で
自宅でサロンを開いては
来る人に編み物や刺繍、俳句などを教えていた
その度に手作りのジャムやパンケーキを作っていて
私もサロンの片隅で
編み物や俳句の真似事をしながら
お茶の時間を楽しみに待っていた
そんな時間が何よりも好きだった
おばあちゃんは
私が10歳の時に
病気で天国へ行ってしまったが
今でもおばあちゃんの存在は
私が生きている大きな理由の一つ
人は誰か1人でも
絶対的な味方がいれば
それだけで生きていけるんだ
おばあちゃん
ありがとう
ずーっとずっと大好きだよ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?