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母のこと


父母が離婚するまでの
母の記憶は全くない

と言うよりは
3歳から前の記録がすっぽりない

1番古い記憶はおそらく4歳頃
祖父母の家の庭で
隣の家のお兄さんが折り紙のチューリップを折って
くれたことだ


継母と父が再婚したのは多分4歳の時

継母が継母だと言う自覚は最初からあった

なぜなら
どうして自分は父の結婚式に行けないのか

散々泣いた記憶があるからだ

家には実母の面影を残すものは一切なかった

写真も
赤ん坊の私が1人で写っているものか
父あるいは祖父母と写っているもののみ
それなりに立派なアルバムであったが
父母が離婚した後に作ったものなのかもしれない

私には実の母がいるのかいないのか
生きているのか死んでいるのか
それすらもわからないで過ごしていた

いや産まれているんだから
産んでくれた誰かがいる事はいるんだろうな
と思ったが
それについて口に出してはいけないのだろうと
心のどこかでわかっていた

だからずいぶん長いこと
自分の母については考えることすらしなかった

祖父母のもとに預けられ
祖母が亡くなって
祖父と2人きりで
長い時間を過ごすようになってから
ようやく本格的に実母について
思いを馳せるようになった

祖母が亡くなり
仏壇が出来て
実母は死んではいないのだなと悟った
位牌
お墓
形見など
亡くなった痕跡すらなかったからだ

どんな人なんだろう?
どうして父と別れたのだろう?
私の事はどう思っていたのだろう?

想像はどんどん膨らんで
TVで見る
美しくて優しそうな女優さんを
勝手に自分の母に当てはめて考えてみたりしていた

何か手がかりは無いかと
祖父の家にあるアルバムを
片っ端から見てみたり
本がたくさん並んでいる書棚を
漁ってみたりした

しかし
写真一枚すら
見つけることが出来なかった

祖母が亡くなってからしばらく経って
謎の荷物が祖父の家に届くようになった

そこには私用の洋服や
お菓子やらノート、鉛筆や本などが入っていた

これは一体誰から来た荷物なの?
と尋ねると
親戚のおばさんからだ
と祖父は言った


祖父は私の洋服などには無頓着で
私自身も洋服がサイズアウトしても
どうしたらいいかわからない
と言う状況だったので
それらの贈り物はとてもありがたく感じた

本も大好きだったので
とてもうれしかった

3ヶ月に1度位の割合で
そんな荷物が届くようになり
私はそれを心待ちにする様になった

父の家で虐待されていたときに夢見ていた
あしながおじさんならぬ
あしながおばさん
が自分にもできたような
そんな感覚がしていた

まさかそれが
実の母からのものだなんて
全く思ってもみなかった

そして小学校6年生の春だったと思うが
見知らぬ女性が2人
祖父の家を訪ねてきた

祖父から自分の部屋にいなさいと言われて
部屋にこもっていたのたが
祖母の葬儀の経験で
お客様が来たときには
お茶を出さなければいけない
と言う事はなんとなくわかっていたので
頼まれもしないのに
お茶を入れて応接間に持っていった

女性が2人
と言うのは
玄関に上品な女性用の草履が
2組あったからわかった

家には沢山の食器があった
その中から
女の人が好みそうな
花模様の湯呑み茶碗を選んで
覚えたての手技で緑茶を淹れて
慎重に応接間に運んだ

すると中から祖父の穏やかではあるが
ややきつめの調子の声で

「家内は
あなたのことを
最後まで許しませんでしたよ」

と言っている声が聞こえた


その後
女性の声で
「私がわがままだったんです。
母は悪くありません。」
と言っている声が聞こえた

その会話で
この2人の女性は親子なんだなと察した

ただならぬ雰囲気に
少しの時間
ドアの前で躊躇したが
そこで会話は途絶えていたし
お客様にはお茶を
と頑なに思っていたので
ノックをしておずおずと部屋に入り
お茶を差し出した


そこには
着物姿の女性が2人
いかにも上品な様子で座っていた
祖母と同じくらいの歳の女性と
継母や父と同じくらいの歳の女性だ

そして
なぜかその2人は
じっと私を見つめていて
その目には
みるみる涙がいっぱい溜まっていった

大人が泣くのは
おばあちゃんのお葬式の時ぐらいしか見たことがない

何が起きたのか
全くわからぬ私は
びっくりして
多分とても不自然なおじきをして
すぐに応接間を退室した

これが私と母と
そして母方の祖母との
何年ぶりかの再会だった


しかし
その時の私は
その事実を知る由もなかった

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