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いくつになっても、Happy birthday

私は1950年代の七月生まれ、星座は蟹座である。

誕生日を迎えることが、四十代までは少し照れくさかったが、この歳になると、何となく心が弾む。長く生きてきた一番の証をこの日に自覚できるからなのかもしれない。

■ 誕生日にまつわるあれこれ

七月は文月。稲穂が育つ頃であることから「穂含月(ほふみつき)」から転じたとも、または、七夕行事にちなんで短冊に願い事を書いたことから「文」の字を当てたという説もある。また、この月の満月は英語でBuck Moon (男鹿月)(雄ジカの角が生え変わる時期の月)と呼ばれている。

誕生石はルビー。昭和の時代に寺尾聰が歌った「ルビーの指環」が、洒落た大人の歌として今なお若い世代にも引き継がれているのは、「われわれの世代もまんざら捨てたものではない」と言われているようで、何となく誇らしい。

そして、星座は蟹座。血液型占いの類は信じない方だが、以下のような記述を見つけると、強ち間違いではなく、良いことが書かれてあるので、やはり嬉しいものだ。

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愛情深い蟹座と、おおらかで頼りがいのあるO型。この2つの性質をあわせ持つ「蟹座+O型」の男性は、仲間意識が強く愛する人を守ろうとする人です。 

あまり目立つタイプではないものの、面倒見の良さは抜群。
周囲からは「親切な人」ともっぱらの評判になっているでしょう。
庶民的に見えて、実はロマンチティストの一面を持っているのも特徴。

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誕生日が同じ有名人は、世界的なバンドのドラマーのRSさん、一世を風靡したトレンディドラマの女王Aさん、そして、アイドルグループのメンバーとしてよりも、役者として評価の高いKさん、などなど。

■ 同じ誕生日の人を、偶然知り得た三つの話

自分と誕生日が同じ人を、偶然知り得た話を紹介しよう。

【その一】

エッセイ繋がりでたまたま知り合った高校の後輩と会食する機会があった。その場で、昨年出版した本を渡した所、パラパラと見ていた同席の同級生が突然「私と誕生日が同じなんですね!」と言われた。

そう、エッセイの発行日は意識的に「誕生日」にしているが、そこに目が入ったというわけである。

【その二】

後輩の医師から、「私の母が同じ誕生日です」と言われた。

はて?自分でLINEのプロフィールに書いていたのを失念していた。

【その三】

極めつけは次の逸話であろう。Yさんとしておく。

自分が産まれ育った小さな町には東西二つの小学校があり、私は東小学校に入学した。Yさんは西小で評判のアイドル的存在だった。この二つの小学校から同じ中学校に、そして隣町の高校に進学したが、接点はなかった。

中学生になったある日の事、縁側に寝そべっていると、「町内のXさんの奥さんがお産をした後、私があなたを生んだのよ」と母親が話してきた。同じ町内会の同級生男子の事であれば納得したのだが、生命誕生にそれほど関心がなかった中学生が、「何故、そんなことを突然?」と訝ったのも、当然であろう。その時には、医者になるとは夢にも思っていなくて、どちらかといえば文系よりも理系なのかなと漠然と思っていたくらいである。

Xさんのお宅は、町内で知らない人は誰もいないほど有名であった。当時は自宅分娩が普通であり、産気づいた母親のために、父親がXさんのお宅に駆け付け、分娩介助を済ませた産婆さんを自転車の荷台に乗せて急いで帰宅し、何とか間に合った。母親にとっては三回目の出産で、予定日よりも早く陣痛が来た結果、予想外の急速分娩となったようで、Yさんの誕生から私の誕生までわずか二時間足らずだったようである。

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