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人生の節目に出会ってきた腕時計たち

季節外れの話題ですが、ご容赦の程を。

4月は入学式のシーズン、新しい門出を祝うスタートの月で、ウキウキする。高校入学時に一番嬉しかったのは、父親から入学祝で貰った腕時計だったことを、ふと思い出した。

■ セイコーファイブ

当時の生徒手帳の最後のページにある「貴重品の控え」に、SEIKO 9N3143と型番までしっかり書かれてあった。1970年代初めの街中で時刻が分かるものは今ほどなかった。分刻みの時間割に縛られ、試験続きだった学生にとっては、腕時計は今以上に重要で、これ以上の貴重品はなかったはずである。(写真1)

写真1:生徒手帳の記録

大学生になっても、毎日腕時計を付けていたと思うのだが、いつのまにか身の回りから消えてしまっていた。おそらく、故障して使えなくなったからだろうが、今の自分であれば、それでも手許に残していたに違いないのに、残念だ。

腕時計をつけている写真も探してみたが、見つからなかった。この時代、カメラは身近ではなかったのでやむを得ない。ネットで探してみると、写真2のような画像を見つけることができたが、自分のものは日付だけの表示だったと思うので、今となっては思い出す術もない幻の時計となってしまった。

写真2: セイコーファイブ           

ロンジンからロレックスへ

大学を卒業して、鹿児島で結婚式を挙げることになった。お世話をしてもらっている方から、鹿児島では「結納返し」として、ロンジンの時計(注1)が重宝されると聞かされた。このスイスのブランド時計を「日本で最初に所持したのは西郷隆盛である」ことに関係しているようで、明治維新の翌年1869年に薩摩藩主島津忠義から贈られたと記録に残されている。

私も勧められるままに、その銘柄の時計を貰うことにした。(写真3)

写真3:結納返しのロンジン時計

数年後、ある飲み会にその時計をつけて参加したところ、10歳以上年配の先生から「ちょっと、じいさん臭いね」と冷やかされた。確かに当時30歳前後だった自分にとっては、年齢に似つかわしい若々しいものではなかった。

その上、大切な時計とは知りつつも、腕時計を付ける日常はなかなかやってこない。その頃の自分といえば、手袋をすることが多い外来診療や手術に明け暮れていて、腕時計をする間もない日常が当たり前のようになったからである。自然とタンスの奥にしまわれることとなった。

医師になって10年目、生活にも少し余裕が出てきた。ある時、カード会社が発行している月刊情報誌にロレックスのアンティーク時計(注2)が紹介された。少し高額だったが、発売が自分の高校卒業年(1973年)に当たるというモニュメント的な意味合いもあり、「自分へのご褒美」として、思い切って買うことにした。(写真4)

写真4:アンティーク・ロレックス

2001年に上京するまでは忙しい臨床の連続だったので、この時計も日常的にすることはなかったが、上京してからは臨床以外にも色々な会議に出席する機会が多くなり、腕時計をする機会が増えていった。時計盤には私が好きなブライトブルーが使われていることもあって、特に講演会での発表時には、欠かせないアクセサリーとなった。

カルティエからIWCへ

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