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友人関係は「平行線」でなければ上手くいかない〜依存体質の人とその周りの人に知っておいてほしいこと〜
先日友人より、「自分の友達が依存体質らしく、付き合いに苦労している」との相談があった。
どうやら友人の友達(仮にAとする)Aは同学年の友達がなかなかできず、一つ上の学年である友人と仲良くなったらしい。しかし、友人曰くどんどん関わっていくうちにAは自分に依存してきていると感じるようになったそうだ。例えば友人が1人で下校したいと言い出すとAが泣いてしまうなど…
この話を聞いているとき、わたしはAに深く共感した。私もかつてそうだったからだ。友達がいなかった寂しさから、友達と呼べる人がいればすぐにその人に依存してしまう。そしてその人が少しでも自分を拒絶した瞬間に悲しさと怒りが爆発して抑えられなくなる。後々思い返せば、自分の寂しさを紛らわすために他人に我儘を言っているということなのだから人、に依存するというのは案外自分勝手な行動であると思う。しかし多くの人に拒絶され、それに気付いてからは誰かに依存することは少なくなった(もちろん完全に0にできたわけではない)。自分は自分。他人は他人。他人の人生の中に自分を押し込まれるわけにも、他人の人生の中にずっと引きこもっているわけにもいかない。結局は各々自分の信じる道を1人で歩まなければならないのだ。けれどあくまでもその横に友達がいるという状況であればきっとそれは大きなモチベーションになるだろう。私たちは平行線同士だ。一生交わらないし、離れもしない。交わった後の線同士は次に大きく離れてしまう。私たち人間と同じで、深く関われば関わるほど知れば知るほど、今まで通りに接するのが難しい。けれど平行線は違う。適度な距離感でずっと変わらず横に居続ける。それこそが本来あるべき友達という形なのではないだろうか。
人として成長できていないところは誰にだってある。けれど友人のそのような部分を知ったとき、無理に突き放すよりかは寄り添って例えば依存体質の人だった場合、「いつまでも同じ人と友達でいられるわけじゃないかもしれない。だからこそ、今のうちから色んな人と関わる練習をして欲しい。」と教えた方が何倍も喜ばれるし、相手の成長にも繋がると思う。大切なのは未熟な人を拒絶するのではなく、友達として指導することなのだ。
本人からすれば突き放されてもある程度時間が経てば、自分の間違いにも気付くことはできるだろう。しかしそれにより心についた傷はなかなか癒えてくれないだろう。一度誰かに拒絶されたという経験は思いの外自身の心に深く残り続ける溝となる。
自分が問題を抱えているとき、大概他の誰かも生きづらさを抱えている。だからこそ、私たちは拒絶し合ってはダメなのだ。互いに教師として教え合うべきなのである。
本当に優しい人というのは都合の良い時だけ相手に良い顔を向けて、相手のボロが見えてきたらすぐに拒絶するような人ではない。普段から相手の未熟なところを自覚させ、改善するまでそばに居て寄り添ってくれるような人が本当の、持続的な優しさを持った人だ。私はそのような本当に優しい人に囲まれて生きていたいし、また自分自身もそのような人でありたいと思う。