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中山道・木曽路ウルトラウォーキング103km 参加記録

第1章           「恐ろしく過酷で無謀な挑戦の始まり」

僕はもともと、と言ってもずいぶん昔のことなのだが、ウルトラトレイルにちょっとはまっていた時期があり、長い距離を走るということに何故か異常に惹かれるのである。
今回、103km歩くという、恐ろしく過酷で無謀な挑戦は、昨年の今頃、友人SくんのSNSに「100kmウォーク完歩」の投稿があったのを見たのがきっかけだった。100km歩きゴールした後の友人Sくんの写真は、何か全身からアホなオーラが漂っており、それでいてなんだか少し神々しいような雰囲気を纏っていた。これまで30年間、ダメな人間同士どうしようもない生ごみのような友人関係を続けてきたと思っていたのだけれど、それは少し違って見えてきたのである。
すぐに、「来年僕も出たい。」と話した。と思う(この辺はうろ覚え)。
 今年になって、どの大会に出るか話し合いをした。100kmウォークなんて全く興味のない人間も混ざっており、どの大会に出るか話し合いをするというのを口実に飲み会をしただけだろう。と言われてしまえば、そんなことは全くその通りです。
 たまたま、ゴール地点が地元に設定されている、「中山道・木曽路ウルトラウォーキング103km」という大会を知った後だったので、僕はこれがいいと主張したが、友人Sくんは「過酷すぎる。」と渋っていた。何しろ僕は100kmウォークに関しては素人である。近場で済むならそれが一番いいと安易に考えていたのだけど、友人Sくんは当初から過酷で無謀な挑戦になることを見越していたのである。
 渋る友人Sくんを無理やりなだめ、コースが近場なのでとりあえず一度練習してみようということになった。7月末の酷暑の夜、この大会の中で最も難所であろうと思われる、「中山道御嵩宿から中津川宿」までの約40kmを徹夜で歩いてみた。過酷すぎた。暑さと湿気でサウナの中を行軍しているようだった。予定していた時間を2時間以上オーバーして何とかゴールした。一応は喜んだが、練習会は40km、本番はこの倍以上の長さがあるのである。この時の練習会に参加したのは大会出場を考えている4人だったのだけど、4人ともこの時点で自信を喪失した。今一度話し合いが必要になった。そうなのだ。話し合いをするべきなのだ。疲れた体に冷えたハイボールを流し込む必要が我々にはあるのだ。焼き鳥でも焼肉でもタンパク質を欲しているのだ。と思っていたが、日程が合わず話し合いをする前に申し込みの期限が近付いてきてしまった。
 それでも僕はやっぱりこの大会に出ようと思った。中山道という歴史的背景の深い道を歩くことにも興味があったし、なにより近場である。目の前で行われている大会に出場せずなんとするか。みんなにそう伝えた。みな喜んで一緒に参加してくれることとなった。本当に喜んでいたかなんて確かめてないので僕は知らない。
 こうして恐ろしく過酷で無謀な挑戦は本当に始まったのである。
友人Sくんが友人を誘ってそのまた友人も参加することになり、大会参加希望者が6人になった。友人Sくんの友人の友人は僕の中学時代の同級生で、昔一緒にマラソンしていた仲間だった。世の中異常に狭い、日本の人口は本当は10,000人くらいしかいないんじゃないか。
大会参加の3週間前、最後の練習会をした。コースの終盤、「中津川宿から南木曽駅」までの約22kmである。途中標高790mの峠越えがあり、約80km歩いてきてからの峠越えがどんなものか体験するためである。とはいえ、このコースはもう何度も歩いたことがあり、気楽に練習会に挑んだ。気楽にゴールした。気楽すぎて途中でカフェに寄ったり、ラーメン食べてビールまで飲んだ。なんだ峠越えなんて気楽じゃないか。このまま気楽に大会に参加しよう。その気楽さが大会本番最後に来て首を絞めることとなるのだが、この時はまだそんなことは知りもしない。
そしてついに、10月12日本番当日を迎えた。スタート地点の岐阜駅南口には参加者約250名がバラっと座っていた。もっとギュウギュウに人がいるかと思ったら、意外とバラっとしていて少し安心した。開会式がありスタートの時間となった。一般道の歩道を利用しての大会であるため、スタートの時間を区切って2回に分けてのスタートである。マラソン大会と違って、前のめりになることもなかったが、それなりに緊張感があり、これから103km歩くぞ。という気概にあふれていた。スタートの合図が鳴る。参加者が一斉に歩きだす。参加者たちの足音から、気持ちの高鳴りが伝わってくる。
20秒後、赤信号につかまり皆一旦停止した。

第2章 「チームの結束」

 岐阜の市街地は、信号と狭い歩道との戦いだった。
 進んでは信号で停止し、また進んでは信号で停止する。
 僕たちは、友人の友人の友人達が集まって、何が何だかよくわからない6人でチームを組んでいた。お互いのペースもよくわかってなかったが、最初の練習会のペースを参考にしながら進んでいった。
 チームの中にはこの日初めて出会った人もいたが、「103km完歩」と言う目標を共有したチームである。初めて出会った人同士でも、お互いを気遣いながら目標に向かって進むことができる。そうして楽しく10kmほど歩いたところにシャトレーゼがあり、みんなでアイスクリームを頬張った。何を食べようかとワイワイキャッキャしながらアイスクリームを選んだりした。アラフィフ6人がワイワイキャッキャしても誰一人得しないのだが、チームの結束力が高まる時である。チームっていいな。と思いながらシャトレーゼを出発した途端、僕の中学時代の同級生Tがいきなりペースを上げて一人でさっさと先に行ってしまった。チームの結束はどうした。さっきの楽しい時間は何だったのだ。もう僕たちのことを忘れてしまったのか。
 よく考えたら、同級生Tは昔からちょっと常人とは外れたところがあった。簡単に言えば「変わり者」である。つい最近「奇行画家」を名乗ってグループ展を開催した僕が言うのだから、その「変わり者ぶり」は間違いない。その上頭も良くて、体力も人並み外れている。そんな同級生についていくだけの力は、残された5人にはなかった。同級生Tが超人で、残された5人は全くの普通の人なのだ。
 僕たち5人は超人Tのことは考えないことにした。自分たちのペースを貫くことが大切である。まだ先は90kmもある。他の参加者にどんどん追い抜かれながらも僕たちは着実に進んでいった。たまに超人Tから次のエイドステーションの食べ物の情報がグループLINEに送られてくる。最初のうちは誰かが返信していたが、そのうち誰も反応しなくなった。今やチームは5人なのだ。5人でゴールまで進んでいかなければならない。
 平坦な道がしばらく続くが、20kmあたりから太ももとふくらはぎに張りが出てきた。犬山市の日本ラインの辺りにさしかかったとき、はるか遠くに恵那山が望めた。「恵那山、すぐ近くじゃん。」と誰かが強がりを言った。「もうすぐだよ。」強がりに強がりで返す。アホなんじゃないか。しかし、そうしないと気持ちがなえてしまうので仕方がない。
 木曽川沿いの歩道はとても歩きやすかった。かなりの距離、芝の生えた平らな歩道を歩けたことは非常にありがたかった。ずっとこの道が続けばいいのに。いや、それなら最初から平坦な道だけの大会に出場すればいいのだ。僕たちはあえて過酷な道を選んだのだ。決して近場の大会だからこの大会に出場したわけではないのだ。  ん?
 第2エイドに到着し、僕たちがエイド通過のチェックを受けた時、スタッフの声が聞こえた「後5人くらいです。」ほぼドベである。そんなことは関係ない。ドベだっていいじゃないか。制限時間内にゴールできればそれでいい。でもドベか。
 完全に陽が落ちた頃、御嵩宿のエイドに到着した。ここまで38km歩いてきた。そろそろ足の張りもきつくなってきている。ここまで歩いて来て、距離と時間を計算すると予定していた時間より少し遅れ気味である。しかも、ここからがこのコースの本番である。酷暑の夏に練習した「御嵩宿から中津川宿」が待っている。一度歩いている分、少しは気持ちに余裕があったが、真っ暗な山道に突入するのはやっぱり勇気がいる。何よりこれまで平坦だった道は、上り下りを繰り返す過酷な道へと変貌するのだ。果たして練習した時と同じくらいの時間で通り抜けられるだろうか。
 まずは、大会コースの約半分に当たる「細久手宿」のエイドステーションを目指す。超人Tからの「細久手エイドのカップ麺で生き返った」と、誰も返信しないLINEを読んで、細久手ではカップ麺が食べられるのだということを知った。今の励みはカップ麺である。もちろんカップ麺は好きだが、これまでの人生でカップ麺を励みにしてきたことがあっただろうか。
 真っ暗な登りの山道をカップ麺を励みに歩く。ふと誰かが歌を歌いだした。「負けないでもう少し」みんなで声を揃えて一緒に歌った。「最後まで走り抜けて どんなに離れてても 心はそばにいるわ」
 超人Tの心は僕たちのそばにいない。
 24時間テレビでは、もうゴール寸前でこの歌が流れたと思うが、今はまだ前半も終わっていない。サライが歌えるのはいつになるのだ。
 山道は続く。そろそろ確実に痛くなってきた足をかばいながらそれでも歩くと、民家の明かりが少しずつ見えてきた。ついに、コースの約半分、50km地点の細久手エイドステーションに到着した。半分来たのだという喜びと、まだ半分かという絶望感の中、カップ麺を食べる。今までずっとカップ麺は欽ちゃんヌードル派を通して来て、日清さんごめんなさい。カップヌードル最高です。

第3章      「5人一緒にゴールするのだ。」

 長めの休憩をとって、細久手エイドステーションを出発する。残りは53km。まずは、次のエイドステーションのある恵那高校前のコンビニ(大井宿)を目指す。次のエイドまで20km。一気に進むことはできないと思うので、何度か休憩を挟んで進むことにする。
 細久手を出てもしばらくずっと山道が続く。細かく刻んで休憩をとった。恵那市の槙ヶ根一里塚近くで細久手の宿場を過ぎてから2度目の休憩を取った後、ついに街の明かりが見えてきた。大井宿はすぐそこである。
 ここまでくると他の参加者の姿も遠くにやっと見えるくらいになっていた。人っ子一人いない大井宿の中を5人で歩く。見慣れた風景に安堵する。ついに恵那まで来たのか。思えば遠い道のりだった。あんなに遠くに見えていた恵那山はすぐそこである。まだ陽が昇っていないので見えないが。
 日付は変わり、10月13日午前5時30分頃、恵那高校前のコンビニに到着した。スタートしてから約70km来た。もうすでに5人の身体はボロボロだった。座ってしまうと立ち上がれない。僕は足の裏に靴擦れができていて、右足はかなり大きく痛かったので、とりあえず靴下を変えてみることにした。靴下を脱いでみると、あれ?こんなところに羽二重餅があるぞ。いや、羽二重餅ではない。足の裏の皮が剥けて浮いているのだ。太ももの張りや痛みよりも、こっちの方が厄介だ。
 昔、ウルトラトレイルランにはまっていた頃愛読していた本の中に、「痛みは痛いだけ」と書いてあった(と、思う)。そうだ。痛いだけなのだ。痛い、痛い。あー痛い。と言っていれば済むのだ。「痛い、痛い。あー痛い。」
 済むわけないだろ。
 恵那高校前エイドでは、カップお茶漬けが提供された。初めて食べたのだが、これまたとてつもなく美味かった。なぜこんな美味しいものを誰も教えてくれなかったのか。
お茶漬けを食べていると、スタッフの方が話しかけてきてくれた。「今の時間でここにいるということはゴールに間に合いますね。」はたして本当に間に合うのだろうか。次の中津川宿まで約11km。中津川宿から南木曽駅まで22km。今の5人の身体では、時速4kmでは進めないと思われる。少し急いだほうがよさそうだと思った。が、なかなか身体がいうことを聞いてくれない。空が明るくなりだした頃、やっと出発した。大井宿から中津川宿は、平坦そうに見えて地味な上り下りが多く、これまた一筋縄ではいかない。そこへもってきてとてつもなく眠い。眠気でフラフラしながら歩いた。
 約11kmを3時間近くかけて中津川宿の真ん中、ひと・まちテラスに到着した。すでに時間は午前9時近くだった。ゴールの制限時間は午後4時。残り7時間である。2回目の練習会の時は、のんびり気楽に歩いてここから7時間くらいだった。あの時は気楽だった。カフェに寄ったり、ラーメン食べてビールまで飲んだ。楽しかった。しかし今はそんなことは言っていられないのだ。何としてもこの5人のチーム全員で制限時間内にゴールするのだ。ただの娯楽のつもりで始めたウルトラウォーキングであったが、学生時代の部活の時以上に心は熱く燃えてきていた。僕たちはここで作戦会議をした。これから峠越えが待っているが、休憩は少なくし、とにかく少しでも早く進もう。そうだ、僕たちは岐阜駅のスタートから一緒に苦楽を共にした5人のチームだったじゃないか。このまま最後まで一人も脱落せずに5人でゴールしよう。
 ん。ちょっと待て、何かおかしい気がする。スタートの写真には6人いなかったか?いやそれはきっと気のせいだ。とにかく5人一緒にゴールするのだ。
 次の馬籠のエイドステーションに11時30分までに到着できれば絶対間に合う。ひと・まちテラスから馬籠のエイドステーションまで約9km、ほとんどが急な登りのため、相当厳しい戦いとなるが11時30分に馬籠のエイドステーションに到着しよう。5人は固く誓った。
 馬籠のエイドステーションに向けて歩く。3週間前気楽に歩いた道であるが、80km歩いて来てからのこの道は想像以上に過酷であった。なぜこんなことを始めてしまったのか。あまり考えもせず参加した自分を責めた。それでも気力だけで前に進む。足はもう自分の物ではなくなっていた。皆で声を掛け合い励ましあった。コンビニで僅かに休憩をとってすぐにまた進む。長い上り坂が続く。石畳が足を止める。それでも歩いた。
 恵那山が真横に見えていた。馬籠宿は目の前だ。稲刈りの終わった田園風景の中を進んだ。馬籠宿のエイドステーションは坂道の宿場町を登り切った先にある。3連休のど真ん中、宿場町は観光客でごった返していた。観光客の隙間を縫うように前に進んだ。ボロボロの身体で、ほとんど登り坂をここまでで最も良いペースで歩いたと思う。
午前11時15分、予定より15分早くエイドに到着できた。歩行距離91km、残り12km。

第4章 「満身創痍」
 馬籠のエイドステーションからゴールの南木曽駅までは、残り12kmである。登りはここから馬籠峠までのわずか3km足らず。予定時間内に到着できて、やっと一息つくことができた。
 汗で水分は失われているはずなのに、トイレに行きたくなった。エイドのすぐ隣に公衆トイレがあったが、見ると階段を上らなければいけない。バリアフリーはどこへいったのだ。手すりにつかまりながら階段を上り、用を足して戻ろうとしたら、別の参加者が同じように手すりにつかまって登ってきた。おお、同士よ。
 少し時間に余裕ができたので、皆気持ちが楽になった。馬籠峠へ向けて出発する。しばらくは細い山道が続くのだが、そこで欧米から来たと思われる観光客の団体に混ざってしまった。何語なのかもわからない。そんなことはどうでもいいのだが、何より香水の香りがきつい。香水とは良い香りを放ち、人を気持ちよくさせるものではないのか。こっちは気持ち悪くなっているぞ。
 頭がクラクラしてきた頃、山道を抜け峠の集落を超え、ついに標高790mの馬籠峠に到着した。時刻はお昼12時ちょうど。後はほとんどが下りか平坦な道である。制限時間まで残り4時間。ついにゴールが見えてきた。今こそ「負けないで」を歌う時なのではないか。
 そういえばさっきLINEが鳴っていたなと思い出し、見てみると、忘れ去られていた超人Tがすでにゴールしていた。「満身創痍だと思うけどあと少しがんばって。」と入っていた。そのとおりなのだ。ゴールが見えてきたとはいえ、こっちの5人は満身創痍なのだ。
 少し休憩してすぐに下る。今度は長い長い下り坂である。登りよりは楽とはいえ、太ももの筋肉はいつ切れてもおかしくないほど張っていた。無口で歩く。ひたすら下る。長い下り坂を下り切り、妻籠宿へと到着した。残りはたった4kmである。
 ちょっと休憩しようという話になったが、どこのお店も観光客でいっぱいであった。知り合いの珈琲屋さんへ行くと、テイクアウトならすぐに出せるということであったので、アイスコーヒーを注文した。冷たい珈琲をのどに流し飲んでいると、友人Sくんは隣で生ビールを飲んでいた。残りわずか4kmとは言え、良くこの状況でビールが飲めるもんだ。僕だったら、飲んだ途端そのままここで眠ってしまいそうだ。もしかしたら友人Sくんも超人だったのかもしれない。超人であることを隠して僕たちに付き合ってくれていたのか。超人Tが悪魔超人ブラックホールだとしたら、友人Sくんは正義超人ペンタゴンなのだ。
 つまらない妄想はその辺にして、あとほんの少しゴールへ向けて進むだけである。残り4km、5人は最後の力を振り絞って、それでも楽しく歩いた。
残り3kmの辺りで超人Tから電話が来た。何かと思って電話に出たら「今どのあたりか。」と聞く。場所を説明すると、迎えに行くとのことだった。何のことかと歩いていると、しばらく歩いたところで、前方から身軽になった超人Tが歩いてきた。ゴールして家に帰り、シャワーを浴びて着替えて迎えに来たらしい。そのまま6人で南木曽駅のゴールへと向かった。
 午後3時を僅かにすぎた頃、僕たちはゴールした。
 103kmを29時間4分13秒かけて歩きとおした。(超人Tだけは106km歩いている)
全身全霊をかけ、身体をフル活動させた盛大な遊びは終わった。誰に頼まれた訳でもないのに、自ら進んでこれほど過酷な思いをすることがあるだろうか。苦しかった。しんどかった。痛かった。でも、途中で諦めなくてよかった。過酷だったからこそ、とっても面白かった。そして何より、誰一人かけることなく5人、いや6人だった。
6人全員制限時間内にゴールすることができた。本当に心から嬉しかった。
後日談
 次の日、下半身はプルプルと震え、生まれたての小鹿のようになっていた。上半身はただのおっさんであるので、バランスの悪いケンタウロスのようであった。
 おかげさまで上半身は元気だったので、締め切りの迫っている仕事をしていると、グループLINEに次々と感想や写真が投稿されていった。夕方、流し読みしていると見過ごせない一文があった。
「○○(超人Tのこと)、今日も山登ったの?」
「あまりの天気の良さに出かけたい欲求が103kmのダメージを上回りました。」
 超人Tは次の日も登山に行ったらしい。
 超人は比喩ではなかった。本物だ。頭おかしすぎる・・・・

おしまい。

 大会スタッフの皆様、とてつもなく過酷で楽しい大会をありがとうございました。
 一緒に参加した5人のチームメイト(友人Sくん、超人T、Oさん、Iさん、Tさん)本当にめっちゃ楽しかったです。忘れられない体験となりました。心より感謝いたします。ありがとうございました。打上げと次回の大会参加も楽しみにしています。
 そして、読んでいただいた皆様、こんなどうしようもない文章を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

2024.10.18 みやがわ まもる

中山道・木曽路ウルトラウォーキング
岐阜駅から南木曽駅まで103km
#中山道・木曽路ウルトラウォーキング
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