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映画「セブン」95'米

監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:アンドリュー・ゲウィン・ウォーカー

セブン』(Seven、劇中の表記は"SE7EN")は、1995年アメリカ合衆国サスペンス映画キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、その事件を追う刑事たちの姿を描いたサイコ・サスペンスである。(Wikipediaより)

デビッド・フィンチャー監督が『エイリアン3』の失敗から起死回生の一作『セブン』。この作品を最初に観たのは私が高校生くらいの時で当時は結構、衝撃でした。30年前の映画とは思えないほどの新鮮さがあって、今観ても色褪せませんね。セブンと言えばオープンニングがカッコ良くて、解説でも言ってましたが、この映画の影響で類似された映像が流行ったとかで…あのビジュアルセンスはあとを惹きました。

主演はブラッド・ピットとモーガン・フリーマンという豪華な2大キャストですが、ブラピってこの映画あたりから人気出たような感じがします。物語はベテラン刑事で定年間近のモーガン・フリーマン演じるサマーセットと新米刑事ミルズ役のブラッド・ピットが、7つの大罪をモチーフにした殺人事件を捜査していくうちに思わぬ展開へと発展していく、スリリングなサイコサスペンス。新米とベテランの構図も面白いんですが、中盤でサマーセットがFBIの男に頼んで、図書館でサイコな本を借りてる人をリストアップして、犯人の手掛かりを探すため、調査するあたりの描写とか興味深くて、その甲斐あって犯人の住所を割り出してしまう、という犯人すら予期しなかった早い段階での予定調和を崩されるシーン、観ていて面白いですね。そこから展開が変わっていって映画も面白くなっていく訳ですけども、私個人的に印象に残ってる場面があって、それは犯人の家に侵入して、サマーセット刑事が犯人のジョン・ドゥが書いた本、著作物を読み上げるシーンあれも結構興味深くて面白かったシーンでした。
もの凄く細かい字で分厚いノートにびっしりと書き込まれた日記というか雑感の執筆。ちょっと紹介します。著作権に触れたらごめんなさい。


サマーセット「我々は病む操り人形、その舞台は薄汚い。ひたすら踊ったり、◯ァックしたり、周りをかえりみない何の値打ちもない存在。道を外して終わる。」

「今日、地下鉄で一人の男が話しかけてきた。天気がどうだとか、寂しい男の世間話しだ。愛想よく相槌をうっていたが、あまりのくだらなさに頭痛がしてきて、次の瞬間私はその男に向かって、思いきり嘔吐していた。男は怒ったが、私は笑いが止まらなかった」

「ライフワークってやつだな、250ページのノート2000冊、50人掛かりで読んでも2ヶ月はかかる」映画「セブン」の劇中より

これは、脚本家のアンドリュー・ゲウィン・ウォーカーもなんかやっていた感じがしないでもない。文章書く人ならやりかねない、私は絶対にやりませんけど…。これ、犯人のサイコっぷりと変人ぶりが垣間見れるシーンで個人的には凄い印象に残ってます。

ここからは古い映画なのでネタバレでいきますが…。

そこから一気にクライマックスには生首が登場していくんですが、それまでの七つの大罪を集約して、ラストはあくまでもミルズの奥さんの生首を入れた箱の中身をミルズに見せて犯人を殺害させる、というのがジョン・ドゥの狙いで、その通りになってしまう、というフィニッシュの持っていき方。七つの大罪というキリスト教らしく、誘惑して罪を犯させるというラスト。犯人は途中でミルズを殺す事が出来たのに殺さなかった理由がここにあるわけです。誘惑の描写は結構アメリカ映画だと多いですが、キリスト教徒の国、その文化が根強いているからでしょうか…。日本だとあまりない設定です。本当はいくつかラストシーンを用意していたらしいのですが、デヴィッド・フィンチャーがこの終わり方のほうが後世に残る映画になるだろう、という理由からこのラストになったそうです。まあ衝撃ではありますが、それにしてもジョン・ドゥを演じたケヴィン・スペイシーのサイコっぷり凄い映画ではありますが、一番サイコなのはこんなラストにしたデヴィッド・フィンチャーだったというそんな映画でした。




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