前任校は不当解雇を撤回して、あちゃちゃを復職させよ。③
こんにちは。
日が空いてしまいましたがいかがお過ごしでしょうか。
労働者の不当な扱いは許されないと思うあちゃちゃです。
前回は、解雇通告~学内での交渉までを取り上げました。
今回は、引き続いて、学園側との交渉と、訴訟にいたるまでを
取り上げたいと思います。
① 12月上旬 弁護士さんへのご相談
私がピンチに陥ったときに、たくさんのそれまで勤務していた学校の先輩の先生方に声をかけていただき、相談に乗ってもらいました。
なかでも、弁護士さんをご紹介してくださる先生がおり、その先生のご紹介で弁護士さんと相談させてもらいました。
こんなひどいことが許されていいわけないということはおっしゃって頂きましたが、学校側とやり取りするには、すぐに訴訟を起こすというわけではなく、まずは内容証明郵便を送り、こんなひどいことをしては許されないですよ、辞めさせるのを撤回して従来の約束通り専任教諭として採用してください。という旨を再度学校に要求しようとお話し頂きました。
もちろん、一度学校法人が決定したことをすぐに覆すなんて厳しいかもしれない、と弁護士さんからも言われましたが、私はどこか学校側が話を聞いてくれそうな、撤回してくれるような気持ちでいました。
それは私の淡い期待だったのかもしれませんし、3年間大好きで勤めた学校だったから、まさか最後まで裏切るなんてないだろうと賭けていたのかもしれません。
② 内容証明の郵送と学校側からの回答
それからしばらくはああでもないこうでもない、こう言おうなどと弁護士さんとの手紙づくりが続き、ようやく内容証明の内容が固まりました。12月15日、弁護士さんから内容証明を郵送していただきました。
本当にこの手紙によってなにかの良心が動かされて改心してくれることを切に願うばかりでした。
ところが、12月19日、学校側からの回答はあっけないものでした。
学校側から返ってきたのは、ただの薄っぺらいA4紙切れ1枚に20行程度しか書かれていない「回答書」と書かれた書簡でした。
はじめの2行で、
以降は、法人が誰を採用するかなんて自由だろと言わんがばかりに、ほとんど今回の問題とは関係のない話を十数行書き連ねただけの書簡でした。
しかも、日数から考えるに、提出して1日か2日程度しか経っていないのに返送して来たのです。
何も議論をしたり、考えたりせずに送ったんだなとすぐに分かる内容でした。
③ 12月 年の暮れの弁護士さんとの面談
学校側の回答を受けて、弁護士さんと話し合いを持つことになりました。弁護士さん曰く、
とのことであった。
加えて弁護士さんから、
とのお話があった。
年末年始・1月の間、ずーっと私は悩み続けていた。
なんでこんな事になったんだというやり場のない怒りをどこにぶつけたらいいか分からず、ストレスで気が狂う寸前であった。
④ 12月23日 署名活動と先輩の先生方と管理職との交渉
同じ学年や部活で一緒に働いた先生方が、教科主任の先生方に呼びかけて署名活動をしてくれた。
はっきり言って、私は任期制教諭として3年間しか働いていない。
職場の先生たちは今後も学校で雇用され、暮らしていく先生方である。
管理職へ抗議すれば自身の処遇も良いようにはならないことは火を見るより明らかであるにも関わらず、署名欄に記名してくれた先生方が大勢いた。
本当に何回署名簿を見て泣いたかわからない。
しかし、署名活動は内通者の存在によって、管理職へ知られてしまい、管理職は更に頑なな対応になり、学内での自力交渉は頓挫した。
そこで、なんとか交渉できないかと、先輩の先生方が校長に掛け合った。
しかし、校長からの返事は、
と豪語したらしい。
間違えている校長には、一刻も早く退職してほしいものである。
その後、中学教頭と先輩方との面談も行われた。
中学教頭に対して先輩が質問すると、教頭は大変重要な発言をした。
これが事実であるとするならば、大変重要な発言である。
11月9日の抗議の際にも同様の発言はしていたが、再度、
6月の専任採用を約束したことを自認したわけである。
⑤ 訴訟に踏み切ると決断した理由
1月以降、学校に出勤していると、2023年度は授業を担当しているわけではないが、かつて学年の教員として関わっていた生徒から、
なんてわけのわからない質問をされることが多かった。
もちろん、人事についてはみだりに口外は出来ないのではぐらかすしかないのだが、よくよくこの質問をされるようになった。
これは、私にとって大変うれしく、大変つらい質問であった。
生徒は大好きだ。いつまでもこの学校で教えていたい。
卒業するまで鍛えてやりたい。
けど、現状のままではそれは出来ないのだ。
このまま泣き寝入りしたら、本当にこの生徒たちを教えることは
2度とできなくなる。
考えたくもないが、考えない間にも時間は刻一刻と進んでいく。
私には、それが耐えきれなかった。
だから、もし仮に劣勢であろうとも、生徒の前にもう一度立てるように
戦うしかない。そう思って訴訟をすることにしたのだ。
そこからは、弁護士さんと訴訟についての契約を結んで、弁護士さんに裁判を起こす書面(訴状)を作成してもらい、内容の確認を進めた。
1月末には提出出来たが、弁護士さんにお願いして3月の終業式の日まで裁判所への訴状の提出を待ってもらうことにした。
理由は、自分が所属する高3学年の卒業式や、ずっと教えていたかった高2以下の生徒との「一時的な」お別れを意味する終業式が、3月末にあったからである。訴訟を起こしたからといって学校側から参加させてもらえないなどの嫌がらせを受けないようにするためである。
勝つとか負けるとかではなく、
教員として彼女たちを送り出したかったからだ。
そうして、終業式の日、弁護士さんより訴状を裁判所へ送ってもらった。
ある意味、ここから戦いの火蓋が切られたと言っても良い。
次回
訴状提出と学校側の答弁書、そして第一回期日までを取り上げます。
前任校は不当解雇を撤回して、あちゃちゃを復職させよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?