平安時代の乱世っぷり
平安時代のドラマは珍しいので大河ドラマを見ている。平安末期から台頭してくる武士の世の中もかなり乱世なのだが、優雅で雅な貴族社会の乱世っぷりも新鮮で興味深い。
平安時代は今考えると不思議な時代だ。この時代の史料は結構残っている。それは和歌や漢詩だったり、日記や物語だったり、神祇や律令政治に関するものまで幅は広い。それらを通じて当時の人々の暮らしや世相を垣間見ることができる。文字や識字が広まって来たのだろう。但し、貴族という特権階級の世界の話であり、庶民には関係の無い話なのだが。
穢れという概念を創り出し、怨霊や祟りの存在も信じて、本気でこれらを恐れている。また陰陽道に関する官職も存在して、占いや呪詛なども世の中を動かす施術の一つとして利用されたりする。平安時代は気象も荒れていたようだし、衛生面や環境面からも人が死に至りやすい時代でもあった。床暖房やエアコン、ダウンジャケットで生きてる我々は、昔はどうやって過ごしていたのだろうと考えるが、当時の環境に生きていけない人は死ぬしかなかったと思われる。当時の子供の死亡率は高いのは無理もない。疫病が広まったり、火事が起こっても当然対処はできない。これらに人間が対処するのは近世になってからのこと、文明や科学が発達していない未熟な世の中では仕方がなかった。
権力闘争も激しく、権力を勝ち取るためには手段を択ばず邪魔者を消し去る、という諸行も非常にわかりやすい形で展開されている。
権力闘争に負けた側には容赦がない。しかし、平将門にしても、菅原道真にしても、崇徳上皇にしても怨霊と言う形で世間を震え上がらせる。これも日本人的な感情移入の現われなのか、日本人はひどい目に遭った人に同情する傾向がある。可哀そうという発想から、怨霊として仕返しをさせてバランスをとってしまう気もする。日本人は昔から悲運のヒーローが好きだと思う。
祟られる心当たりのある方々は怨霊を鎮めるのに躍起になるのだが、疫病も雷も火災も疚しいことがあるから怨霊に見える。くわばらくわばら。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 2月18日(日)】