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ケチという美学

 私のことをケチと呼ぶ友人がいる。彼の金銭感覚は最初からノーマルではないので、気にもならないのだが。

 お金というものは、本能のままに生きていると勝手に羽が生えて飛んで行ってしまう。お酒をよく飲んでいた頃の私は、翌朝財布の中を見て唖然とすることが度々あった。

 お金を使うというストレス解消法は、気分爽快ではあるが、後々に陰鬱な影を落とす可能性も忘れてはならない。お金を使う快感を覚えたら、同時にお金を稼ぐという茨の道も知っておかないと、茨の道を行くしかいない場合もある。働かざる者食うべからず。

 お金の使い方は結構難しい。やたら倹約モードで貯金に命を懸けていて、早くお亡くなりになってしまっては、たった一度の人生もったいないような気もする。まあお金がある安心感というものは暮らしていくには大切な気もする。
 最大の難点は将来がわからないということだ。どんな災難に遭うかわからない、いくつ迄生きるのかもわからない。今をそれなりに楽しみながら、これからの為に倹約もするバランス感覚が大事だ。

 そうなると無駄なお金は使いたくないと思うのは当然である。ここで厄介なのが、無駄か、無駄でないかの基準は人それぞれ違っている。倹約のポイントも千差万別だし、そこでの他愛もない対立はルールを決めて、さりげなく流すに限る。あまりこだわるとつまらぬ時間が増えるだけだ。

 私のお金の使い方の基本は「死に金は使わない」ということを心掛けること。一応ない頭を搾って、将来にプラスになる方向で組み立てる。投資の匂いがプンプンするが、ここで大事にしたいのは、御世話になった人、良くしてくれた人にはきちんとお返しをしたいと考える。これは投資というより感謝の意味合いだ。仲良くしてくれる人は大切にしたいと思う。しかし、世の中には、それを見透かして良くしてくれると見せかけて、それより多くのものを奪っていこうとする人達もいるので注意が必要だ。自分の利益のために悪意を持って近づいてくる人は思いっきりやっつけてあげよう。

 できる限りお金は生きるように使いたい。この判断が難しいのだが、年を取ると自然と身についてくるような気もする。もちろん年をとっても何だかなと思う人もたたくさんおられる。

 自分と自分の周囲が楽しく安全に暮らせることに「しっかり」お金を使いと思う今日のこの頃である。そのためにはケチでもかまわない。

【REG's Diary    たぶれ落窪草紙  3月18日(月)】

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