父の命日に想う 最後の温泉旅行
今日は父の6度目の命日。母は既にその2年前に亡くなり、同居していた私は独り残された父と暮らした。父から影響を受けた覚えはあまりない。しかし、育ててくれた恩義はきちんと感じている。公務員だった父は生真面目な頑固者だった。母が亡くなったお通夜の晩から、二十年間は止めていた煙草を吸い始めた。私が一番驚いたのは、父が毎日のように母の仏壇に線香をあげていたことだ。どうやら意外に二人は仲が良かったのかも。
そんな父も頭は衰えていく一方であった。最後の二年間は私も色々と対応に苦慮した。
亡くなる最後の一年間に父と二人で温泉に4回行った。私の嫁は仕事があり、泊りに同行することはあまりない。文字通り親子の旅だった。
特別なことをするわけでもなく、風呂に入り飯を食って酒飲むだけなのだが、昔のことを話す父はまるで子供の様に見えた。人は年を取るといろんなことができなくなっていくので、子供に帰っていくのかもしれない。
それでも乗車券を二重に買ってしまったり、待ち合わせてもそこに来れなかったり、忘れ物をしたりで、私はのんびりもできないのだか。
父は家に帰ると、また次を楽しみにしているようだった。
父が忙しかった我が家では、家族旅行の記憶はほとんどない。
父も退職して初めて海外旅行に出かけたのではないか。その頃は頻繁に母を連れて温泉に行ったり、北海道など遠くへも出かけていた。若い頃山が好きだったらしく、スイスのマッターホルン辺りやカナダへスキーにも出かけていた。老後になってやっと自分の旅行できるようになったようだった。
5度目の温泉はどこにしようかと考えていたが、父が突然倒れた。夕飯の時には焼酎を飲みながらTVで笑点を見ていたのだが、その夜トイレに行こうとしたが、動けなかったらしい。救急車でそのまま入院。大動脈解離だった。延命の手術の選択肢もあったが、手術の内容はとても九十近い父が耐えられるものではなかった。弟と相談して手術はしなかった。涙が出た。
三日後に父は亡くなった。
昭和・平成という長くて変化が著しい時代を過ごし、海軍特別少年兵にも参加して戦争経験もあった。今は町を見下ろす高台の墓に眠っている。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 2月8日(木)】