重祚した二人目の天皇、孝謙・称徳天皇が選んだ次期天皇は・・・
昨日は日本の天皇の中で、重祚されたお二人のうち皇極天皇について書きましたが、もう一人の孝謙天皇についても書いておきたい思います。
第46代孝謙天皇(女帝) 在位749年-758年 即位前は阿倍内親王
父親は聖武天皇。母親は光明皇后。
聖武天皇は奈良、東大寺の大仏を造立したことで知られています。
光明皇后は中臣鎌足の孫で、藤原不比等の娘なので藤原氏の出身です。
これまで皇后は皇族である必要があり、これは夫の天皇が先に亡くなった場合、皇后が天皇として即位する可能性があるということなのでしょう。
光明皇后は藤原氏の出身なので、民間からの初めての皇后ということになります。聖武天皇の母親宮子も藤原不比等の娘なので、平安時代に入る前から藤原氏は着々と地位を固めていたということです。
聖武天皇の男子は早世してしまい、阿部内親王が即位し孝謙天皇となります。不比等の孫の藤原仲麻呂が権力を握ります。孝謙天皇は病気の光明皇太后の看病のため天武天皇の孫にあたる淳仁天皇に譲位し退きます。
この後、光明皇后崩御あたりから、孝謙上皇と仲麻呂・淳仁天皇との関係が悪くなっていきます。そしてあの有名な展開へと・・・。
761年に孝謙上皇は病床につき、看病してくれる僧、道鏡を寵愛するようになります。これをよく思わない仲麻呂・淳仁天皇と対立していきます。孝謙上皇は出家と政務に戻ることを宣言します。周囲は大混乱に。
そして阿倍仲麻呂は反乱を起こしますが、捕らえられ殺害されます。淳仁天皇も廃位され、淡路に流されます。
孝謙上皇は、史上唯一出家したまま即位し、称徳天皇となります。
第48代称徳天皇 在位764年-770年 皇極・斉明に次ぐ2度目の重祚
こうして称徳天皇と道鏡との政権が始まります。道鏡は僧ですが異例の出世を果たします。そして769年に太宰府の主神(道鏡の弟は太宰府におりました)より次の天皇には道鏡が就くべしとの宇佐八幡宮の神託が伝えられます。確認のため和気清麻呂が派遣され、これを虚偽と報告します。怒った天皇は、清麻呂を左遷し配流します。
衝撃の皇位継承未遂事件ですが、これも諸説あり真偽はわかりません。
道鏡は天皇になることを望み、後継ぎのいなかった称徳天皇の望みでもあったのでしょう。やはり重祚の裏にはドラマが。恐るべし称徳天皇。
770年に称徳天皇は崩御、道鏡も失脚します。
称徳天皇は生涯独身であり、子供もいなかったため、群臣による評議により、天智天皇の孫である光仁天皇が即位します。
権力争いから重祚を画策する上皇もいましたが、重祚できたのは女帝二人のみです。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 3月25日(月)】