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人気の安土桃山時代はたった30年間

 歴史上の時代区分の上ではたいへん人気が高い安土桃山時代なのだが、織田信長、豊臣秀吉という二大スターが権勢を振るったこの時代は実はとても短かった。二人のスターの名から織豊時代ともいうが約30年間にすぎない。             この時代の始まりと終わりをどこに置くかについては諸説ある。始まりは早くても1568年、織田信長が将軍足利義昭を奉じて上洛をした時から始まる。足利将軍が立っている間は室町時代とすれば、将軍義昭が京都を追放され、事実上室町幕府が滅亡する1573年が始まりとなるかもしれない。この時代が短かったのは本能寺の変による信長急死が大きく影響してるだろうなぁ。
 終わりも織豊のひとり秀吉が亡くなった1598年を終わりとする説もあるが、時代区分としては家康が征夷大将軍になり江戸に幕府を開いた1603年が適当かもしれない。265年間続いた江戸時代はここから始まる。

 安土桃山はそれぞれ地名を表している。織田信長の最終的な居城は安土城である。現在の滋賀県近江八幡市安土町にあった。地下1階地上6階、天守の高さは32mの豪華絢爛な城であったようだ。1582年本能寺の変の後に焼失している。明智軍が放火したのか、野党の仕業か、織田信雄が放火した説もあるが、事実はわからない。

 桃山は京都市伏見区桃山丘陵にあった伏見城に由来したものだ。伏見城は最初は伏見指月に建設されていたが地震で倒壊してしまい、近くの木幡山に築城された。秀吉は晩年はここで過ごすことが多かったようだが、1598年8月18日にこの城において亡くなる。この後伏見城へは家康が入る。

 群雄割拠の戦乱の世を織田信長、豊臣秀吉が国として一つにまとめていき、徳川の世に継承していく。日本の礎を築いた安土桃山時代が特に人気が高いのもうなづける。僅か30年の間だったが二人のヒーローと多くの武将たちが繰り広げた人生模様はどこを切り取っても壮大なドラマになる。

 明治天皇はこの京都伏見城址の陵墓に眠っている。この地への埋葬を希望したのは明治天皇本人だという。45年間の明治時代に近代化を行った日本、明治天皇はどのような心持ちでこちらに眠ることを望んだのであろうか。

【REG's Diary    たぶれ落窪草紙   7月23日(火)】



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