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Polar star of effort (case4) アスリートとアスリートに関わる全ての人達に・・・

     Case 4 28歳 男性 陸上競技 槍投げ
 
 電卓を叩く手を止めて、頭を抱えて天井を見上げた。「いや~、今月も赤字か・・・世の中厳しいなぁ。」もうこれ以上計算したくない。
 現実から逃げるように、予約表に目を通した。「お!」トレーニング体験の方が1名入っていた。「よし。ここは一つ、ご入会につなげたいなぁ。」
 体験に来られた方は、長谷川 雄太 28歳 中学から陸上競技をやっている。大学では、槍投げ競技で日本インカレに出場するほど本格的に取り組んでいたという。
 社会人になってからも、趣味程度に競技を続けているとのことだった。
 ところが、2年ほど前から腰に違和感が出始めた。今年に入って悪化し、整形外科に診てもらったところ、腰椎椎間板ヘルニアと診断された。
 長谷川さんは、「なんか、まだやり切れていないというか、もう少し続けたいんです。」と厚い胸板と盛り上がった肩をすぼめながら話してくれた。
 まずは、身体チェック。現在、腰の痛みは、普通に生活している分には
ないとのこと。
 身長182㎝、体重90㎏。発達した筋肉が印象的で堂々とした身体つきである。
 ただ、姿勢を見ると、反り腰気味で、やや肩が前に丸まっているのが気になる。
「腰は、大丈夫ですか?」確認しながらチェックをする。
 「これは、問題ないです。」
 驚いたのは股関節の柔軟性。開脚は180°前屈も肘が床に着きそうである。
 多くの場合、腰痛を抱えていると股関節周囲、臀部の筋肉が硬くなり可動域が制限されるのだが、長谷川さんは柔軟性を保っている。日頃からケアをしっかり行っているであろうことが予測できた。
 さらに指圧で筋肉の状態を確認した。全体的には柔らかく、筋肉の状態は良好そうだったが、腰と胸部の張りが気になった。
長谷川さんは、「趣味程度」と話していたが、身体の状態から、そうは思えなかった。かなりストイックに競技に取り組んでいるようであった。
 ということは、恐らく投げ方に問題があると考えられる。
 「ちょっと、軽くでいいので、投げる動作をやっていただいても良いですか?」と動作を見せてもらった。
彼は動作をしながら「この投げる時。腰が入った瞬間に痛むんです。」と腰に手を当てた。
やはりそうだ。体幹部のしなりが正しく使えていないのである。結果、手投げになってしまっている。胸や肩の張りはそのことを物語っている。
本来、腰椎椎間板ヘルニアであれば、時間をかけて患部への施術をしつつ、身体全体の関節可動域をチェックしながらアライメントを整え、改善を図るところである。
 しかし、長谷川さんの場合、現在、痛みが治まっていること、関節可動域の状態、身体能力、さらに「趣味程度」と言いながら身体から伝わる「本気感」を考慮して、一気に核心に迫ることにした。
 「長谷川さん、下半身って何処から下を言います?」
 「下半身?」と言いながら長谷川さんは骨盤の上に両手を当てた。
 「そうですね。でも、筋肉の付き方、動作的に言うとここから下が下半身なんです。」と言いながら私は自分の鳩尾の下あたりを指さした。
 彼は、そんなこと初めて聞いたといった表情で「え?そんな上からですか?」と返した。
 そう、下半身とは骨盤から下というイメージが強いが、人間の動き、筋肉の付き方、骨の構造から言うと鳩尾の下あたり、胸椎の12番目を境に上半身と下半身に分かれるのである。
 胸椎の12番目の上下(胸椎11~腰椎1番)の部位を「胸腰椎移行部」と言う。

 言葉では、「腰を入れる」「腰を曲げる」「腰を反る」「腰を捻る」など、腰そのものを動かす表現が多い。真に受けて本当に腰を動かしてしまうと、とんだことになってしまう。
 なぜなら、腰の骨、いわゆる腰椎は動かないようにできているからである。動かないものを動かそうとするのだから、当然不都合が生じる。
 腰の骨は、大きく、上から見ると楕円の形をしており、腰椎を連結する関節は包み込むようにできている。また、「生理的前湾」といって、生まれつき反っている。
 つまり、横に倒すこと、捻ることが苦手。その上、元々反っているのだから、これ以上反らせると椎間板が潰れて、いわゆる椎間板ヘルニアを患いかねない。

 この構造を考えれば、おのずと腰椎の得意分野が理解できる。それは「支えること」である。可動性が低いこと、前湾していること、大きな腰椎、それは、上半身の重量を支えるための構造なのである。 
よって、動かす場合は、

ということは、槍を投げる場合も同じことが言える。

長谷川さんは、意識的に左側のように体幹部のしなりを作る際に腰から反っていたのである。当然、腰椎の椎間円盤に負担がかかり、ヘルニアを発症する可能性が高まってしまう。

さて、ここから核心部分に入る。
「長谷川さん、ショルダープレスって知っていますか?」
「はい、肩の筋肉を鍛える筋トレですよね。」
そう、ショルダープレスと言えば、肩の三角筋を鍛える広く知られたトレーニング方法である。この場合、三角筋に負荷を掛けて、いかに追い込むかが重視される。
「今から、やるショルダープレスは、三角筋を使わないでバーベルを持ち上げます。」
長谷川さんは「三角筋を使わないで持ち上げる?」とつぶやいて、一瞬止まった。

 私は「長谷川さん、今からやるショルダープレスは
 体幹部のしなりを引き出す動作になります。」と言うと
 彼は「体幹部のしなり・・・意識する筋肉はどこですか?」と返した。
 そう、ウェイトトレーニングの基本は使う筋肉を意識すること。
 ターゲットの筋肉を意識して、その筋肉単体を追い込むのである。
 しかし、それは、ボディビルやボディメイクのトレーニング方法であり、競技に活かすトレーニングではない。
 なぜなら、競技動作で筋肉単体を意識して動作を行うということは、身体の連動性を滞らせることである。しかも。競技動作とは、無意識に行われることでパフォーマンスを発揮する。動くたびに、三角筋が、大胸筋が、と考えていては、無意識の動作にはなりえない。
 では、競技に活かされるトレーニングで重視されることは何か?
 それは、骨の動きを考えること。その競技動作では、骨がどのように動かされるかを見る。
 すると、骨の動きによって筋肉がどう働くのかに目が向く。競技動作とは、全身動作である、単体の筋肉を見ていては、動きを見誤る。骨が動くことによる筋肉の動きは複雑で、解剖学にある筋肉の作用だけ頭に入れていても対応できない。 
 簡単に考えるなら、骨が動いた結果として筋肉が働かされる。つまり、競技動作と同じように動けば、関わる筋肉も同じように鍛えられるということである。
 これは、実際に体験した方が早いので、早速やってもらうことに。

 肘を肩と同じくらいの高さで止める。

 この位置でバーベルの重さを利用して肩甲骨を背骨に寄せる。
 肩甲骨が寄り切ると、それ以上は下に下がらなくなる。三角筋の筋力を使わずとも、バーベルを持つことができる。
 もう一つ大事なのは、肩甲骨が寄ると胸腰椎移行部が前に突き出され、体幹部がしなるのである。

 この体幹部のしなりを利用してバーベルを上に持ち上げる。
 手に掛かった負荷を肩甲骨に伝え、体幹部の出力を引き出すのである。
 まさに、槍投げの動作と同じなのである。

 私は慎重に様子を見ながら、要点を伝え、長谷川さんにショルダープレスをやってもらった。彼は、体幹部がしなった時に、
 「ああ、でも腰に来ますね。」
 なるほど。だが、これは想定の範囲内である。
 「では、しなるポイントを胸腰椎移行部ではなく、もう少し上、肩甲骨の下あたりに変えてやってみてください。」と伝えた。すると
 「あ!腰に来ないですね!あー痛くないです。」
 実は、これもよくあるパターンで、腰を使う癖がついていると胸腰椎移行部を意識しても、ポイントが下にズレてしまうのである。そこで可動ポイントをもう少し上、肩甲骨の下あたりに意識を持ち、肩甲骨が動くことによって体幹部がしなることを理解してもらう必要がある。
 恐らく、長谷川さんは、学生時代には胸腰椎移行部を使えていたのだろう。社会人になって、何らかの理由で力みが生じ、投げる動作が崩れてしまったと考えられる。
 「長谷川さん、この肩甲骨、体幹部の使い方で槍を投げると違うはずですよ。」
「なるほど。ここなんですね!すごいイメージが湧きました。」と、長谷川さんは初めて笑顔を見せてくれた。
 「良かった。手ごたえを感じてくれて・・・これはご入会の流れかな?」と心の中で呟いた。
すると、「自分、今住んでいるところが松江なんですよ。」とのこと。
 「松江?島根県!?」ちなみに、ここは千葉市である。
YouTubeに私が上げている動画、肩甲骨で煎餅を割る動画を見たのだという。その動画を見て槍投げのヒントになる身体の使い方の話を聞けるのではないかと思い、こちらに来ることがあったら、体験したいと考えてくれていたようだ。


 そんな矢先、東京へ出張することになり、本日に至るという訳であった。
 長谷川さんは、何か吹っ切れた感じの様子で、笑顔で帰って行った。

 あれを見て、槍投げのヒントになると思うなんて、やはり「趣味程度」な訳はないなと思い返していた。
 まあ、売上にはつながらなかったけど、彼が手応えを感じて、何かしらの収穫があったのなら、今回は、それで良しでしょう。笑顔も見れたし。
 さて、今日も早く帰って第三のビールを飲もう。
  



スタートラインに立ち、結果を残すのはアスリート本人である。
トレーナーとは、常に裏方の存在なのである。

このお話は、一部事実を元にしていますがフィクションです。
この事例が、全ての人に当てはまるとは限りません。トレーニング、ストレッチをする際は、専門家にご相談ください。


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