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40代、人生の正午に男性育休を取得する(その3”準備”)

その1”きっかけ”その2”反応”のような状況下で、人生の正午に育休取得することの意志を固めた私ですが、何しろ、約20年間の仕事生活の中で、初めての休業。
気持ちの整理はつけていたはずですが、子どもの誕生という一大イベントをはさみ、いろんな感情が行き来しながら、怒涛の日々が過ぎていきました。
今回は、休業開始に至るまでの準備をほどいていきます。

大きく、仕事の準備、家族の準備、自分の準備、の3点です。

マネジメントとは、「なんとか楽しむ」

まずは、仕事、主に引き継ぎの準備について。
直近の仕事は人事マネージャーで、主に採用、研修、雇用管理、組織開発のチームマネジメントの担当。といっても、少なからずの実務。

自身がマネージャーをしていた2017年からの4年間は、労働法制の転換や、仕事のシステム化や、コロナ禍やなんやかやで、伝統的な人事管理から脱皮していく、とても刺激的な期間だった。
マネジメントとは、もともと「なんとかする」という意味。でも、なんとかするだけの仕事は味気ないし、もったいない。だから、マネージャーになった4年間、みんなで「なんとか楽しむ」ことを徹底した。課題は課題、目指す成果は手に入れるとして、どうしたらもっと楽しく仕事ができるか。そうして、ともに乗り切ったメンバーは心から頼りになる戦友たちとなった。

さて、そんな中、育休を取る私はいなくなる。そして、仕事はどうなるか。

答えは、「なんとかなる!」

マネージャーの仕事の引き継ぎは、一つ一つのオペレーションを事細かに行うのは適当ではない。

  • この組織はどんなパーパスを持ち、そのための課題は何か

  • 誰に何を任せればどんな成果を期待できるか

  • 誰は今後どんな成長を期待できるか

上記さえ抑えれば、あとは、各マネージャーの持つ「なんとかする」能力次第。そして、このメンバーたちであれば、いくらでも「なんとかなりそう!」。そう感じられ、この環境に心から感謝した。

うまくいく家族

次は家族について。
家族や職場を含め、どんな集まりも、構成員の相互のバランスによって成り立っている。私の家族の場合、夫婦と娘(小1)の3人の絶妙な関係性とバランスがあり、ここに0歳男児が入ってくることに、当初なかなか平和な生活イメージがつかなかった。そして、自身が一時的に仕事を離れて、家族とともにいる時間を増やすことで、その生活の基盤づくりをしたいとも考えていた。

特に、娘(小1)は小学校に入学して環境が変化した直後、弟の誕生を心待ちにしていたけれど、”お姉ちゃん”という初めての像に、戸惑いを感じていた。
”男たるもの”、”母たるもの”、”課長たるもの”、いろんな勝手なイメージがあるけれど、それらに振り回されるより前に、目の前の家族と幸せを築く、そのために最適な選択を常に考え続けたい。娘にも、”お姉ちゃんたるもの”なんて型にはまることを求めたくはない。

そうして、家族で家族の課題に向き合いたい。
家事・育児の分担は曖昧なままだけど、気づいたらやる、気づいたら話す。率直なコミュニケーションこそ、家族がありのままに幸せであるために必要なことだと思った。

自身の中の未知に問う

最後に自分自身の心の準備。

上記の通り、優秀なメンバーと頼りになる上司に勇気づけられ、仕事のほうは「なんとかなる=心配ない」という思いを強くした。
私の育休後、タスクが増えそうなメンバーも、嫌みの一つもなく、その心遣いに神々しささえ感じた。

一方で、あれ?なんか心がざわざわしてない!?

もともと、楽観的な私。これまでも、たいていのことはなんとかなったし、なんとかならなかったら、そういうもの。
でも、マネジメントも、「なんとかなる」思考も、それは、課題があって、役割が与えられ、ゲームルールが決まっていて、時には期待までもらえる、そんな前提があってこそ成り立つもの。約20年間、そんな所定のゲームの中で成果を追求し続けてきた自身が、いったんゲームを下りることになる。例えて言うなら、はまり続けてきたソシャゲが、サービス終了になった感じ?

そうなったとき、私はどんな自分になるのだろう。それは、これまで感じたことのない種類のアイデンティティの揺らぎ。

息子誕生から育休開始まで、仕事と家の怒涛の慌ただしさの中で、そんな空虚な予感を感じては忘れを繰り返し、結局、自分の心の準備は育休のスタートを切ってからに持ち越すことになる。

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