「全員解雇」と「大量離職」を経て急成長を果たした3代目社長が肝に銘じる「企業カルチャーの大切さ」
大阪市生野区。下町情緒の残るこの街に、「ジャック」と名乗る経営者がいる。DIYのECサイトを運営する「大都」の3代目。12年前、妻の実家の1937年創業の金物工具卸を継いだ山田岳人社長だ。
社長インタビューの前に、広報の「メリッサ」こと永井玲子氏から、こう説明を受けた。「ジャックは良くも悪くも、自己アピールをしないんです。自分のインタビュー中に、『こんな面白いことやってるやつがいるよ』って、他の社長をすすめたりしちゃうから……」
そう。この会社は、社長を含む全員が、互いにイングリッシュネームで呼び合う。フラットなコミュニケーションを大切にしようと、山田社長が取り入れた習慣だ。「仕事は楽しくやってほしい。きょう一日を、笑いからスタートしよう」と、朝礼の後にゲームをしたり、みんなで掃除をしたり。創立記念日には、運動会で盛り上がる。
「ここは大学のサークル?」と思ってしまうようなことに、大真面目に取り組むのはなぜなのか。「誰もがポジティブに意見を言い合える、みんなが能力を発揮できる組織を作るため」。その言葉の背景には、社員の「全員解雇」と「大量離職」という、2度のつらい経験がある。
「赤字か黒字か」分かっていない社員たち
ジャックが大都に入社したのは1998年。大学卒業後はリクルートに就職し、企業向け採用サービスの営業を担っていた。いつか起業したいという夢はあったが、まさか老舗の中小企業の経営者になろうとは、想像もしていなかった。妻と出会い、「結婚の条件」として義父に提示されたのが、「家業を継ぐこと」だった。
4階建ての雑居ビルは、住居も兼ねていた。1階に倉庫と事務所があって、義母が経理を担っていた。初日、スーツを着て出社すると、「なんでそんなもん着てきたんや」と笑われた。伝票は手書き。「トラックで配達に行くから運転しろ」と促され、ハンドルを握ったら、何度もエンストした。パンチパーマに腹巻き姿の金物屋の店主に商品を渡しながら、「こんなんで、もうけが出るんか」と首をひねった。
「営業担当に会社の売り上げを聞いたら『そんなん知らん』、営業目標を聞いたら『そんなもんない』。赤字か黒字かも分かってないわけです。決算書を見てあぜんとしました。ようこんなんでオレを呼んだな、と思いました。最初はすっごい帰りたかったけど……後を継ぐために来たんやから、とにかくこの会社を何とかするしかないな、と腹をくくりました」
大口顧客はホームセンター。棚の商品が無くなれば、自然と注文が入ってくる。古参の社員たちには、「新規の顧客を開拓する」という意識が抜け落ちていた。「目標を持たないとやりがいがないでしょう」と発破をかけ、予算を示し、インセンティブを設けたが、何も変わらない。
「会社は傾いていくばかり。でも、商品の知識ではベテラン社員にかなわないし、自分が稼げるわけでもない」。最初の年は、展示会に出かけて商品の名前を覚えたり、とにかく知識を身につけるのに一生懸命だった。2年目は、新規開拓をしようと飛び込み営業に駆けずり回った。「でも何をやってもうまくいかなくて、3年目は公園の横にトラックをとめて寝てました。僕自身が腐ってました」
退職金を満額払って古参社員を全員解雇
入社から4年が経過して、いよいよ新規事業にかけるしかない、と思った。卸売業は利益率が悪い。消費者に直接販売すれば利益が増えるが、小売業を始めるにはイニシャルコストがかかる。大学の同級生から「これからはネット通販の時代になる」と聞いて、「これだ」と思った。翌日、妻と2人でパソコンを買いに電器屋へ走った。2002年のことだ。
当時、ホームセンター向けの商品は、ジャック自ら一つ一つに値札を貼って出荷していた。販売価格の相場は全て頭に入っていた。値付けに悩む必要はなかった。ホームページ作成ソフトをコツコツ勉強し、ECサイト「DIY FACTORY」を開設すると、すぐに福島県から注文が入った。「これはすごいことになる」と思った。日中は配達に走り回り、夜中に一人でECの発送作業をする日々が続いた。
1年半後、ECの売り上げが目標の月商100万円を超えた時に、パソコンに強い女性社員を雇った。作業効率が上がり、売り上げはさらに伸びた。やがて、利益ベースでEC事業が問屋業を追い越し、問屋業がEC事業の足を引っ張るようになった。顧問税理士に、赤字部門の廃業をすすめられた。
「今年も赤字が続いたら、問屋業を廃業します」。古参の社員たちにそう告げた。だが、最後まで会社の雰囲気が変わることはなかった。「会社って、カルチャーなんですよね。一度根付いてしまったカルチャーは、そう簡単には変えられないんだということがよく分かりました」。2007年、退職金を満額払って、問屋業に従事する古参社員を全員解雇した。
EC事業の成長と急ぎすぎた多角化経営
2011年2月、ジャックは正式に会社を引き継ぎ、社長になった。入社から13年が経過していた。事業承継を遅らせたのは、先代が残した多額の借金だった。「苦労ばかりさせて申し訳ないなあ。借金が減ったら代替わりしようおもてんねん」。先代社長は、申し訳なさそうにいつも言った。そして、娘婿に会社を引き渡した翌年、2012年2月に亡くなった。
EC事業の売り上げは、その後も着実に伸び、会社の規模も大きくなった。だが、ジャックはすぐに物足りなさを感じるようになった。当時、「どうすればAmazonに勝てるか」が新たな課題に浮上していた。そこで考えたのが、体験型店舗だった。
2014年、大都は大阪市内にワークショップなどを開催する体験型店舗「DIY FACTORY OSAKA」を出店した。東日本大震災の影響もあって、「自ら安全な住まいを作ろう」という空前のDIYブームが起きていた。店舗はテレビでも取り上げられ、大きな話題になった。翌2015年には、東京・二子玉川に2号店を出した。
ベンチャーキャピタルなどから総額10億円を調達すると、2017年には赤字企業を買収して独自のアプリ運営をスタート。東京にオフィスを設け、大手通販会社から人材を引き抜いて、2018年からプライベートブランド(PB)事業にも乗り出した。「上場」の文字が目の前にちらついていた。
「成長を急ぎすぎました。会社のカルチャーに合わないことをしていたのだと思います。自分の中にも違和感があったのに、止められなかったんです」。手を出した事業は、いずれもつまずき、うまくいかなかった。多角化のしわ寄せは、本業にまで及んだ。サービスの悪化から、ECサイトの口コミ評価が落ちていた。
2019年、PB事業から手を引き、アプリ事業からも撤退した。最後まで悩んだ末、二子玉川の店舗も閉鎖した。80人いた社員は一人、また一人と去り、気付けば3分の1以下にまで減っていた。
辞めていった中に、大都の新卒1期生がいた。優秀な若者で、アプリ事業の立ち上げを任せていた。いったんは本社の経営企画室に戻ってきたが、自身が手がけた事業を失った喪失感と自責の念にさいなまれていた。当時、本社は、EC事業を立て直して会社を何とか黒字にしようと、戦場のようだった。「僕がいるだけで、会社に負担になりますから」。そう言って彼は去って行った。
「彼には本当に申し訳ないことをしてしまった」。いまも悔やんでいる。
若手が次々にアイデアを商品化
他の事業を全て断ち、目標を「EC事業一本で黒字化を目指す」、その一点に絞ることで、経営陣と残った社員が一つにまとまった。自社システムを開発し、顧客対応の改善や発送作業の迅速化など、小さな試みを重ねることで、会社は急回復していく。そして新型コロナウイルス禍の巣ごもり需要にも後押しされ、大都は国内最大級のDIY通販サイトの運営会社へと成長した。
2023年2月からは事業者向けに、約245万点の幅広い商材を扱う通販サイト「トラノテ」も開始した。
原動力は、そのフラットな組織づくりにある。若手社員が続々と自身のアイデアを商品化している。ここで、若手が発案したユニークな商品やサービスを紹介しよう。
まずは、「ペーパーステイン」という世界初の「おしぼり型」の塗料。「はけがなくても、おしぼりのようにサッと一拭きするだけでステイン塗装ができたら……」。そんな顧客からの意見をもとに、入社4年目の26歳の社員が企画。あらゆる塗料メーカーから「これは無理だ」と断られ、唯一「できるかも」と回答した関西ペイントのグループ会社、カンペハピオとともに商品化にこぎ着けた。
ECサイトで販売を開始したが、「こんな便利な商品を自分たちだけのものにしておくのはもったいない」と、独占販売や特許出願の権利を放棄。今では全国のホームセンターの店頭に並んでいる。
続いて、おしゃれで使いやすい家庭用の溶接機「スパーキー」。入社2年目の24歳が企画し、小型溶接機メーカーと共同開発した商品だ。
そして、暮らしとインテリアに特化したウェブメディア「makit」。 価格競争が激化する中、メディアで訴求を図ろうと、入社6年目の28歳が考案。アクセス数は月間約80万PVまで成長した。
「スキルでは人を採らない」とジャックは言う。新卒の採用面接では一人一人とじっくり向き合い、社員の意見を重視する。そして大切に育てる。「企業にとって何より大事なのは、カルチャーなんですよ」。2度のつらい経験を経て、そう確信した。
大都のオフィスには、きょうも笑い声があふれている。