くるしみ癖をやめる
わたくしは割と忍耐強いほうだと思ってる。まぁ、勿論、人生これまで生きてき中においては、早々にスタコラサッサと逃げ出したことだって幾つかあるけれど。でも、つらかった小中学校生活も登校拒否になることもなく、頑張って頑張って毎日学校に行っていたし、今振り返ると「どうして、なんで、あそこまで……?」というくらい、きつくひどい扱いを受けていたとある場所にだって泣きながらでも、それでもめげずに必死に通ってた。まぁ、そういう意味でも割と忍耐力はあるほうだと思っております。今の夢をずっとあきらめずに居ることも含めてね。
で、わたくしのような――スピリチュアル的に見ても「被害者、犠牲者」のパターンを背負って生まれてきたかたというのは、往々にして、これまで生きてきた環境の影響もあいまって、何かつらいことがあってもつい「自分さえ我慢すれば」とか「忍耐、忍の一文字、どこまでも耐え忍びます……!」みたいな感じで、昭和の演歌に出てくるような「耐える女」をどこまでもひたすら演じる……というか、それを地で行かれるような御方が多いのではないか? と。まぁ、今のお若いかたはそうでもないかもしれませんが。でも、昭和生まれのかたって、育てた世代の影響もあって、結構そういう生き方が処世術のひとつ、みたいになってしまっていると思うのですよね。でも、やっぱり、令和の今ではそれはよくないんじゃないかなぁ? と自分自身を顧みてもそう思うんです。
要は「くるしみ癖をやめる」ってこと、なんですけれどもね。自分さえ耐えれば……というか、何かつらいことや嫌なことがあっても、ぐっと奥歯をかみしめて耐える……というのは、勿論、人生においては必要な場合もあるとは思うけれど、でも、それが「癖」になってしまってはいけないと思うのです。
「わたしさえ我慢すれば」……というよりも、むしろ、もうそれが必然かのように、無意識にそっちの方向に行ってしまっている。わたくしは結構そうだったりします。(いつもがいつもそうじゃないけれど。すぐ顔にも出るほうから、いやーな表情してることもしょっちゅうだけれど(苦笑)) でも、基本、いつも続く人間関係の中にいるときは、「自分さえ我慢すれば」っていうのが多いかもしれないなぁ。っていうか、はっきり言って「多い」。でも、それって、結局なんの解決にもならない……というか、身体にも心にも大いに悪影響だと思うんですよね。
わたくしの人生を大きく変えることとなった中野裕弓(ひろみ)さん<人事コンサルタント、ソーシャルファシリテイタ―、元世界銀行本部人事カウンセラー>の御本『自分の心を満たす31の方法』(大和出版、2000年)の中に、" 自分を泣かせているのは、自分です 大切なのは「自分が好き!」と思うこと "というタイトルの項があるのですが、まさにそれでございましてですね。嫌なら嫌と意思表示するなり、それが出来なくても、せめてその状況に耐え続けるのではなくって、自分でなんとかしてゆかないと……! ただ耐えるだけっていうのは、この令和の時代には非常に……なんというか、非効率ではないか? と。今、やっとこの年代(=アラフィフですの)になって思うわけです。忍耐力はある意味、とても素晴らしいものだとは言えるけれど、でも、それって、本当によいものなの? っていうか、それ以前に、貴女、「くるしみ癖」がついてしまってはいませんか? って。
……とこんなことを偉そうに書いているわたくしも、まだまだこの「くるしみ癖」から抜けきれていません。もういい加減、本当にどうにかしないといけませんよね。もうすぐ新しい2020年、そして、The New Decade(新しい10年)が始まるのですから。令和も二年になりますしね。いつまでも昭和の演歌みたいな……(ってなんだか、「昭和の演歌」をディスってるみたいで申し訳ないのですが)「耐える女」「耐えるわたし」はヨクナイと思います。少しでも前向きにコトに働きかけて、どんどん前に進んでゆかないと。あっという間に人生、終わってしまう!!
てなわけで、せっかくもうすぐ新しい年が始まるので、是非、この今という時期に「くるしみ癖」は捨ててしまいましょう! まずは最低限、自分で自分を泣かせてしまわないこと。自分は自分の最大の応援者であらねば。そんなことを改めて思う、クリスマス前の土曜夜だったりします…☆ミ