最貧層からのベーシックインカム “トタン屋根”が変える世界
ケニアでベーシックインカムが始まった、と聞くのと、フィンランドでベーシックインカムが始まる、と聞くのとでは、どこか印象が異なる。発展途上国で行われる「実験」と、先進国であり福祉国家で整えられる「制度」。そんなイメージを持って、ケニアでの事例を他人事のように捉えてしまうのかもしれない。
途上国のベーシックインカムがおもしろいのは、とかく先進国の政策の話になりがちなベーシックインカムの議論に、新しい可能性を見せてくれるからだ。なにしろ、これは「貧困」のとらえ方そのものを覆そうという大胆な試みなのだ。
ただ、ケニアのストーリーを見ていたわたしの頭に浮かんできたのは、「まあ、この家は屋根が立派」という田舎の祖母の口癖と、大学時代の学食のことだった。
調査結果が覆した「貧困層援助の神話」
Give Directlyと呼ばれるNGOは、2年間の運用テストの後、2011年からケニアでのベーシックインカムを開始し、あえて世界の最貧層に現金を給付するというアプローチを試みた。その結果は早くも途上国の社会起業家たちの議論の的となり、2016年には、世界最大の貧困人口を抱えるインドに飛び火し、Cash Reliefというプロジェクトが開始された。
ただし、貧困層に直接現金を渡すというと、それを不安視する声もよく聞く。その多くは「もらったお金がギャンブルやアルコールに使われるのではないか、労働意欲が低下するのではないか」というもの。
しかし、Give Directlyで実際に追跡調査してみると、現金給付はアルコールやたばこの使用、犯罪に影響がないことが判明した。栄養状態の改善はもちろん、収益や資産の増加がデータで示されるとともに、アルコールやたばこの購買に使われた比率は「0%」という結果が出ている。*1
貧困援助に限らず、わたしたちは数々の「物語」から影響を受けている。生活保護でお金をもらったらギャンブルに使う。移民や難民は犯罪率が高い。はたまた、「ポケモンGO」をしながら運転している人が多い、というものまで。もちろん、それらは事実を含んでいる。しかし、一部の事実がニュースとして報道されることで悪目立ちし、あたかも全員がそうであるような「物語」が広まり、「神話」として定着してしまう。「貧者は働かない」という神話によって、何億人の人々が発展を阻害されただろうか。
貧困層はむしろ“正しく”生活する。このことをデータで示した功績は、思う以上に大きい。
インターネットが変える「与えられる側と与える側」の関係性
Give Directlyでは、ベーシックインカムの対象者の設定から送金、追尾システムまで、さまざまかたちでインターネットを活用している。たとえば、ターゲットの設定や追尾システムにGPSを使い、送金には電子マネー決済を使う。受給者にはSMS(ショートメッセージサービス)で知らせる。さらに、受給者自身の言葉で語られる編集なしのレポートを、「GDLive」と題して、ウェブサイト上でリアルタイムに発信している。
「最貧層は正しくお金を使う」というGive Directlyの調査が示した事実も興味深いが、そこには「見守ろうとしたこと」自体も影響しているように思う。与えられる=監視されている、ということではなく、見守ってくれている、寄り添ってくれていると受給者が実感しているから、ちゃんと使われている。そんな「いい話」が可能になるのはインターネットが世界を結びなおしたからだ。
どうだろう。たとえば、日本で何か公的な「お金」を受け取るときに提出する書類、一律の内容の書かれた認定書、チェック項目を埋めていく事後アンケート。もちろん、書類の中にも意図があり、作成者の思いがあることは間違いないが、顔が見えないためにどうしても冷たい印象になってしまう。
それらより、彼らの行っているインターネットを駆使したシステムのほうが、やりとりにタイムラグがなく、柔軟な関係構築に役立っている。物理的な距離や時間を越えてつながれるITだからこその見守りが、受給者の意欲の維持に直結するのかもしれない。
“トタン屋根”が変える世界
ケニアで送金を受けた人々が、ギャンブルでもアルコールでもなく、何にお金を使ったか。その大多数が、「屋根」だった。Give Directlyではヒアリング調査も実施しているが、使途に関する質問への答えとして複数挙がったものが、“トタン屋根”なのだ。「お金を受け取ったら、すぐにトタン屋根の家を建設する」「何年もかかっていた家を完成させることができる」「わたしの日常生活の最大の違いは、家で寝ているということだ」などの声からは、「トタン屋根のある暮らし」がひとつの貧困ラインの境界として見えてくる。
ここで祖母の話に戻るが、わたしの祖母は高知県の小さな町で広報誌を配っていた。わたしもお小遣い欲しさについて回っていたが、祖母はよく、「ああ、この家は屋根が立派になった」と言いながらご近所の家を眺めていた。紅葉狩りをしに遠出したときも、「ああ、この辺りは屋根が立派だ」と感心していた。子どもながらに、「どうして屋根ばかり見るの?」と不思議に思ったものだ。
そこにある共通項は、衣食住の住環境として必要な「屋根」である。ただ、わたしは祖母の言葉を思い出しながら、「屋根のある暮らしを送っている」ということで満たされる自尊心というか、そこから生まれる心の余裕のようなものが、彼らの生活の質を一歩高める心理的な支えになっているように思えた。
途上国を歩くときに、「足もとを見る」のが良いと教わったことがある。ビーチサンダルや裸足の住民が多いほど、その地域の貧困レベルは深刻だという。落書きの多い地域は荒れやすいというデータから、落書きを消す運動もよく耳にする。屋根、靴、壁。実際の収入や生活費だけでなく、その地域を彩る景色を変えることも、貧困から脱するのに必要なステップなのだろう。
1日1ドルで貧困は変えられる
Give Directlyのプロジェクトは、「1日1ドルで1人支援できる」と呼び掛けている。必要経費を除き、91%が実際に送金されるという仕組みだ。“たった”1日1ドルで、何が変わるのだろうか。
使途の話に戻るが、屋根以外にも、子どもの服や教育などに使ったという人も多い。つまり、生きるために食べる、という最低限度の貧困を脱出したということだろう。
彼らのもともとの生活費が1日平均0.65ドル*2 だという。ベーシックインカムとして送金される1ドルと、それまでの生活費を合わせた額は、1日約2ドル*3 という貧困ラインに近づく。つまり、貧困ラインを越えて衣食住の次のステージへ進むのには、1日1ドルとあと少しを足せばいいのだ。それは、たしかに、生活を変える。
わたしの話に戻るが、大学時代、全財産が500円だったときが本当にあった。次のバイトの給料日までわたしを助けてくれたのは、バイト先のまかないと学食のうどん。そのおかげで、そのときは1日100円ほどで乗り切った。
「100円朝食」を実施している大学もあるというが、それは単純に学生の腹を満たすためではない。衣食住の先の、学問に向かわせるための生活インフラなのだ、と妙に納得した。1日1ドルというのも、衣食住の先の、屋根であり、靴であり、子どもの未来を考えるための基礎づくりである。
途上国におけるベーシックインカムの試みが成功するかどうかはまだわからない。ただし、ベーシックインカムで行った調査が示したデータは、これまでの神話を覆し、貧困層への直接現金支給の可能性を世界に見せた。そして、先進国における「貧困」の捉え方すら変えようとしている。なにしろ、「屋根のある生活」に戻ればいいだけなのだから。
2017.6.11
書き手・廣畑七絵
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