『スープカレー』
たとえば、
自分の部屋の、
机と本棚に挟まれた窪みに
心休まる空間を見つけるみたいに、
ボクが見つけたミナ子の良さは、
他人には分かりにくいものだったと思う。
寂れた商店街の外れに、喫茶 道草 はあった。
古びた喫茶店の
カウンターの隅で僕は、巣穴に逃げ込んだ小動物みたいな小さな声で言った。
「小説、またダメだった」
僕の言葉にミナ子は
「ふ〜ん。」
と言っただけで、何事もなかったみたいに、温かいアメリカンを出した。
側には、人肌に温めたミルクがちゃんと添えてあった。
雨に打たれた身体に
熱いおしぼりがありがたい。
「近頃は天気予報も外れないねぇ?」
サラリーマンらしき男が嬉しそうに、濡れた傘をたたみながら入ってきた。
そう?
といった風に、ミナ子はお水とおしぼりをカウンターに出しながら
「ご注文は?」
と言った。
ドアが開く度に、
師走に湧く商店街の賑やかな喧騒が飛び込んできた。
もうすぐカウントダウンが始まる。
僕はどこかでそれを認めたくなかった。
「こぼさないように。」
ミナ子はいつものようにそう言って、
スープ多めで辛くない、
” 喫茶道草 ” 特製のスープカレーを僕の前に置いた。
その香りは、
母の味を味わうことの出来ない僕が、このカレーに、初めて居場所を見つけた3年前の冬を思い出させた。
僕はあの時のように、泣きながら掬ってカレーを食べた。
ミナ子は勿論何も言わない。
カウンターを挟んで
ミナ子と向き合って座ったさっきのサラリーマンの前にも、
温かいスープカレーが置かれた。
ミナ子は同じように、
「こぼさないように。」
と声をかけた。
以前、
窓の外を見やりながら
ミナ子が独り言のように呟いた言葉を思い出す。
思い通りにいこうが
いかなかろうが
一日は平等に過ぎていく。
それは
大きな一日でも
小さな一日でもなく
いつもの一日なのよ
懸命に生きた
誰も
誰ひとり
こぼれる必要なんてないわ。
今夜はゆっくりと噛みしめながら食べよう。
全て忘れて、
笑って新しい一日を始めるタメに。
道草はそのためにあるのだから。