Kenso (Japan)

Kenso - An Old Warrior Shook The Sun: 老兵礼讃 (2024,Japan)

かねてより優れたプログレッシヴロックは新時代の民族音楽へとなり得るというのが自論なのだが、勿論、音楽自体の元々の建て付けから他ジャンルよりも民族色を盛込み易いって事でもある。まぁ一方で無国籍風プログレってのもあるが。

本作はバンドの10年振りの新作。
思えば1981年に町田の輸入盤店PAMからのほぼ自主リリースの体裁だった1stから43年経つ。その1stはバンド自身もリイシューを長いこと躊躇うレベルの作品だった。そのテーマは日本人の血プログレだったが、結果的には明らかに安易で間違った方法論による作品だったのかと思える。

しかし、このバンドは立ち止まらずに1stでの至らなさのリカバーを目指し、70年代の諸外国のプログレ先人達や同時代の優れたアーティスト達をフォローする事から出直す。言葉が適切ではないが、「雑巾がけ」から始めるって事だ。結果、2年後には2ndアルバム(1stと同じPAMリリース)で結果を出し、そして彼らは10年後には異例の速さで頂点に登りつめる。

1991年にリリースされた第5作「夢の丘」は、当時、王道プログレジャンルでは海外の名作達の横に並べても何ら見劣りしないどころかそれらを凌駕する品質があった。あくまでも日本人によるものでははあるが、汎ヨーロッパ的パースペクティブに立った大傑作。本作によってバンドは大きな結果を得たと言える。

が、個人的には、今回この新作を聴くと日本のプログレ作品を代表する「夢の丘」でさえも彼らにとっては通過点だったように思える。それ程までに新作の説得力は過去との比較で抜きん出ている。
「夢の丘」迄の外向きコンセプトのベクトルは、以降その矢印は内側を指し、つまりインナーワールドの探求へと歩を進める。

と言うわけで、今回の最新作を含めて21世紀になってから発表された5作品(厳密にはそのうちの1作品は1999年発表)では内省的なテーマの表現が柱だが、特筆すべきは、その表現の為にだけ必要なアカデミック・高難度の演奏技術の過不足無い使用という理想的なプログレ流儀を用いている事だ。

まず、1999年の「エソプトロン」では自身の音楽履歴のリセットを表明する意思を強く感じた。実際、いきなりストレートでハードロックな曲調。ある意味清水氏の音楽キャリアのふりだしへ戻った感が漂う。それは、40年前のデビュー作での失策を取り戻すべく、日本人としてのアイデンティティと共にあるプログレッシヴロックの創造の為の再挑戦の始まりだったのか。

そして、続く高水準な2作品のリリース。最早、殊更に和旋律や和楽器使用の安易な手法を用いずとも、充分な程の(日本人としての)民族性が溢れ出る作品となっている。彼らがデビュー当初目指すも挫折した「日本人の血プログレ」は「天鵞絨症綺譚」と「うつろいゆくもの」でほぼ達成されたと言える。アートワークを含めて、この2作品は日本人の潜在的無意識に強く訴える作用が認められるような気がする。冒頭に述べた「優れたプログレッシヴロックは民族音楽たり得る」の命題がここに一つ達成されたと思っている。

ところで、このバンドに課せられたこの(内的世界へと向かう)方向設定は、最終的には個人レベルへと帰結するものだと思える。そういう意味での10年前の前作「内ナル声ニ回帰セヨ」なのだろう。但し、この時点ではまだ作品の各所に我(ガ)を感じられるのだが、本作「老兵礼讃」では10年がかりでかなり水分も抜けて、あたかも即身仏化している感がある。淡い色調のStill Life(静物画)のような佇まいに感動を覚える。また一方で、「強者どもが夢のあと」的な無常感にも満ちている。本作を以て最後のスタジオ作品との話を聞く。ここまでの作品を作り得た事実、もしそれを携えバンドが音楽に殉ずるならば自分は納得する他ない。

(令和7年1月1日追記)
昨日、X(旧Twitter)でフォローをして頂いている方がお教え下さったのですが、KENSO清水義央さんがご自身のブログで本記事を引用をして下さっているとの事。早速に清水さんのブログを拝見させて頂きました。本note記事を無断で引用した事についてお気にされているご様子ですが、私としては、基本的に私へのことわり無しでも、どなたが本記事を引用・リンクして頂いても全く問題ないと言うスタンスです。
寧ろ今回は、私のこの駄文を清水さんご本人に見て頂き、少々恥ずかしくもあり、そして光栄に思う心持ちを強く感じます。
また、このnote記事はあくまでも私自身のKensoに対する主観ですが、きっとそれぞれの聴き手の皆さんにはそれぞれのKenso観があるものと。そして、そのどれもがそれぞれの方々にとって正解だと思ってます。

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